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英国散歩 第20週|世界で最初の田園都市・レッチワースの今【都市編】

前回の【導入編】の内容を軽くおさらいした後、実際にレッチワースを歩いて撮影した写真を紹介していきます。


都市と農村の結婚

18世紀半ばから19世紀にかけて世界に先駆けて産業革命を経験し、急速な工業化、都市化が進んだロンドン。
農村部から人々が流入し過密状態となった大都市ロンドンは、さまざまな都市問題(劣悪な衛生状態、高い家賃、長時間通勤・労働、社会的孤立、自然からの隔絶など)を抱えており、他方の農村もまた、都市的な魅力(雇用機会や娯楽・社会的活動の場など)の欠如により労働人口の流出が生じていました。

そうした中、都市でも農村でもない第三の選択肢を用意することにより、過密都市ロンドンへの処方箋を提案したのが、ハワードでした。
彼は、都市のように活気があり、農村のように自然豊かな生活ができる、都市と農村が融合した理想的な状態=「都市と農村の結婚」を目指した田園都市(Garden City)の建設の必要性を訴えました。

このハワードの田園都市論は、1900年代からロンドン郊外で具現化されたほか、20世紀半ばにかけて世界各地の都市計画に大きな影響を与え、大都市近郊での住宅地開発、いわゆるニュータウン開発の思想につながっていきます。
遠く離れた日本でも、1918年の渋沢栄一らによる「田園都市株式会社」(現在の東急株式会社の前身)の設立や田園調布の開発などにつながっています。

そして、今回歩いたレッチワース(Letchworth)は、現代にも通じるそのハワードの田園都市の構想が世界で最初に具現化された場所でした。

1903年、ハワードの構想をもとに都市計画家レイモンド・アンウィンと建築家バリー・パーカーにより描かれた、レッチワース田園都市のマスタープラン(出所:RIBA



レッチワースの「都市」的魅力

「都市」と「農村」の両方の魅力を兼ね備えた田園都市・レッチワースの風景を、1歳息子とお散歩できた範囲でご紹介します。
既に4回ほど訪問していますが、ケンブリッジから行きやすく今後もまだ訪問すると思うので、内容は随時更新予定です。

まずは、レッチワースの「都市」的な魅力、活気あふれる風景について。


駅前

レッチワース建設が始まったのは1903年。同年、大都市ロンドンとまちをつなぐLetchworth Garden City駅が暫定開業します。
ロンドンからは北に約50㎞、鉄道で30分弱という立地。ハワードはここに、単なる郊外住宅地ではなく、雇用も娯楽もある自立都市の建設を目指しました。

レッチワースの玄関、Letchworth Garden City駅。ロンドンから北へ30分、ケンブリッジ行きの鉄道のちょうど中間にあります。プラットホームは上り下りの2つのみで駅自体は小ぶりなサイズです
平日夕方の駅前にはタクシーの列。職住近接を目指し工場誘致なども実現されたレッチワースですが、現実(少なくとも現在)には鉄道ですぐのロンドンに働きに出る人も多そうです ※このあたりの数字はあとで見てみます
駅すぐ、商業エリアに面した広場「Leys Square」。平日午後、正時でもなんでもない時刻ですが、広場には噴水が。都会的な風景ですね。奥にショッピングストリートの「Leys Avenue」がのびています



中心軸

駅から直線に伸びるレッチワースのまちの中心軸、ブロードウェイ(Broadway)
まちの中央には大きな広場、ブロードウェイ・ガーデンズ(Broadway Gardens)があり、これを境にブロードウェイの駅側は商業系、駅から遠い側は住宅系の土地利用になっています。
ブロードウェイの車道・歩道の主従関係もブロードウェイ・ガーデンズを境に逆転し、駅側は中央にシンボリックな歩道(両脇に車道)、駅から遠い側は中央に車道(両脇に歩行者用の並木道)という構成になります。
この中心軸を歩くだけでも、レッチワースの都市計画思想が垣間見えます。

中央に歩道が伸びるブロードウェイ。駅すぐの歩道には、前回ご紹介したハワードの「三つの磁石(The Three Magnets)」のコンセプト図がありました
今日ではよく見る歩車分離の道路。1900年代の計画都市・レッチワースは世界に先駆けて歩車分離が取り組まれ、まちの至る所で歩きやすさ(1歳息子とのお散歩では、特に安心感)を感じます。
ブロードウェイ沿いには、ホテルや銀行、商店、スーパーマーケットMorrison’sの大型店などが並びます
中央の歩道へのアクセス用の横断歩道。イギリスは日本より信号が圧倒的に少ないですが、横断歩道があれば車はほぼ100%歩行者を優先してくれます。横断歩道の目印、黄色ランプは歩行者フレンドリーな証
ブロードウェイは、まちの中心である楕円形の広場、ブロードウェイ・ガーデンズ(Broadway Gardens)につながっています
広場の奥、住宅系エリア側には立派な噴水。子どもたちを惹きつける磁石のようです
クリスマスシーズンには、噴水と対になる位置にツリーが置かれていました
広場を超えた先は、駅側とは道路の断面構成が逆転し、中央に車道、両脇が歩行者用の並木道(冬で葉っぱが落ちて少し寂しげですが)
商店はなくなり沿道に並ぶのは焦げ茶色で統一された戸建住宅。前庭、植栽も手入れが行き届いていて、暮らしにゆとりを感じます
大学もありました
さらに先には、1908年に英国で初めて設置されたラウンドアバウトもあります。(小さいですが、”UK’s First Roundabout Built circa 1908”と書かれています)。この辺りを横に入っていくと小学校や高校に着きます



商業エリア

続いて、「都市」的な要素として不可欠な商業機能。
レストラン、カフェ、パブ、ベーカリー、アパレル、雑貨、書店など、レッチワースではほぼ全ての商業施設が駅付近に集められており、まちの賑わいがここにギュッと凝縮されています。
車道と歩道はほぼ段差なくフラットに接続されていますが、舗装の違いできちんと歩車分離がされています。歩道は超広幅員で、店舗建物からテラス席を大きくせり出してもなお余りあるほど。
比較的小ぶりな店舗で構成されたショッピングモール、映画館、スポーツ施設、ビール醸造所・ビアガーデンなど、ロンドンに出なくとも都会の暮らしを満喫できるエンタメ、レジャー施設もそろっています。

開放的で洗練された雰囲気のカフェ
駅前にあったのとはまた別の噴水広場「Garden Square」に面しています
【導入編】のトップ画像に使ったパブ「The Three Magnets」は、車道を挟んで反対側にも広いテラス席があります
比較的小規模な店舗が集まったショッピングセンター
書店も広々した歩道に陳列棚を展開


通りには、ベンチや植栽がかなりの頻度で置かれています
プランターは、レッチワース・ガーデンシティBIDによって管理されています。ちなみにそのBID組織の事務所は写真後ろ、The Three Magnetの隣り(奥)にあります
買い物客への配慮のため、速度は時速20マイル(32km)に制限されています
駅周辺の車道は1車線(一方通行)のためこの幅。横断歩道がないと基本的に車優先なイギリスですが、ここでは歩行者フレンドリーなドライバーが多い印象です
少し見えづらいですが、この植栽付きベンチの横では、男の子が水の流れで遊んでいます。レッチワースの商業エリアには随所に水景があり、そこにはすべからく子供達の遊ぶ姿が見られます


おしゃれで都会的かつ広々としたカフェの店内。家の近くにこういったカフェなどがあるとQOLが高まりそうです
別のカフェではベビーカーを並べたママ友会が。レッチワースに限らず、イギリスの飲食店は夜のパブなど一部を除けば基本的に赤ちゃんウェルカム。赤ちゃんが泣いても周りの人は(日本とは違い)優しく微笑みかけてくれたり、いろんな方法で笑わせようとしてくれるので本当にありがたいです


1922年に誕生した歴史あるアーケード街、その名も「The Arcade」。パブのThe Three Magnetsはここに入っています。
こちらはThe Wyndという”ショッピング・ビレッジ”。ビーガンレストラン、おしゃれな家具屋、ちょっとしたビアガーデン付きのブルワリーなどが1つの”村”を形成しています
ブルワリーの目の前には、小さなアスレチックのある子供向けプレイパークがあり、大人はショッピング/ビール、子供はアスレチックでそれぞれに楽しめそうです。このThe Wynd全体が、超コンパクト版イオンモールといった雰囲気でしょうか
まちの中心、ブロードウェイ・ガーデンからすぐの映画館。1936年からの歴史を持ち、レッチワースの娯楽施設を象徴する存在。人口3万人程度のまちですが、スクリーンは4面もあります
商業エリアからは少し距離がありますが、屋外温水プールもあります(冬季休業中)
11月下旬から年始の時期には、プールサイドにスケートリンクがあったようです
プール近くには、テニスコートやスケートボードパークなどもあります



産業エリア

ハワードの田園都市は、都市への通勤・通学を前提とした郊外住宅地ではなく、都市のように雇用機会に恵まれた職住近接型のまちを目指しました。
1912年から1920年にかけてまちの中心部にはコルセット工場「スピレラ・ビル(Spirella Building)」が建設された他、住宅エリアから少し離れたところに産業エリア(Industrial Area)が配置されました。
コルセット工場は、当時の大都市ロンドンにおける劣悪な労働環境とは正反対で、人々に清潔で・快適な・美しい労働環境を提供しました。第二次世界大戦中にはパラシュート工場になった後、1989年に閉鎖されましたが、現在はGrade Ⅱの歴史的建造物を生かした賃貸オフィスになっています。
鉄道沿線の産業エリアには、自動車販売・整備関連やホームセンター系の店舗が並ぶほか、ビジネスパーク(Devonshire Business Centres)も位置しています。

元・コルセット工場のスピレラ・ビル。コルセットや女性用下着を製造する工場でしたが、現在は賃貸オフィスで20ほどの企業が入居しているそう。駅からは北へ徒歩1、2分、ブロードウェイや商業エリアとは反対側です
中央には美しい噴水。レッチワースは随所に水景が見られます。都市と農村が融合した風景を具現化する上で重要な装置の1つだったのかもしれません
噴水横には、ハワードの銅像もありました


こちらは産業エリア(Industrial Area)。日本の幹線道路沿いのような雰囲気で、トヨタの販売店、ガソリンスタンド、家具屋などが立地しています
近くにはヒュンダイ、スズキの店舗も
さらには、マツダ、ホンダ、日産もありました。
さらに中心部から離れたあたりには、おそらくかつて工場があった跡地を利用して整備された、ビジネスパーク(Devonshire Business Centres)もあります。まだ行けていないため今後行ってみます。駅から歩いて30分ちょっと程度。



以上、長くなりましたが、田園都市レッチワースの「都市」的な風景をお届けしました。

人口3万人程度のまちにもかかわらず、都会的で洗練されたレストランやカフェがあり、映画館をはじめとしたエンタメ・レジャー施設があり、建設当初は工場、現在はオフィス等の雇用の場があり、都市にも勝るとも劣らない「都市」的な風景がありました。

これで【都市編】は終わりとし、次回【農村編】でレッチワースの豊かな住環境、自然環境あたりをお届け予定です。



References
エベネザー・ハワード:著、翻訳:山形浩生、"明日の田園都市”(2010 年 4 月 11 日)
Letchworth Garden City Heritage Foundation, A view of life in Letchworth today
Letchworth Garden City Heritage Foundation, The History of Letchworth Garden City
Letchworth Garden City Heritage Foundation, Spirella
東急株式会社, 街づくりの軌跡



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