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英国散歩 第19週|世界で最初の田園都市・レッチワースの今【導入編】

イギリスのレッチワース(Letchworth)というまちを散歩してきました。

このレッチワースは、世界初の田園都市(Garden City)として名高く、また最近の日本では、岸田内閣が掲げる成長戦略の柱の1つ(デジタル田園都市国家構想)にも田園都市というワードが含まれていることで改めて注目されているかもしれません。

都市計画的には、いわゆる教科書に載るレベルのエポックメイキングな都市で、勉強のために一度は訪れてみたかったところでもあります。
場所は、ちょうどケンブリッジとロンドンの中間あたり、どちらからも鉄道で30分弱という立地。
週末のちょっとした遠足気分で、いつものように1歳息子とまち歩きをしてきました。

まずは、「田園都市」の概要についてと、世界初の田園都市・レッチワースの簡単な紹介です。


田園都市(Garden City)とは

都市か、農村か

1936年からの歴史を持つレッチワース中心部にある映画館

田園都市(Garden City)とは、1898年にイギリスのエベネザー・ハワードが提唱した「都市と農村の結婚」を目指した新しい都市の構想であり、また、その構想にもとづいて実際にロンドン郊外などに建設された計画都市でもあります。

当時のロンドンは、いち早く産業革命を経て急速な工業化、都市化が進んでおり、雇用機会や娯楽の場、社会的な活動の場などが魅力となり、農村から人々が流入し続ける一方で、深刻な都市問題に悩まされていました。
劣悪な衛生環境(排水が悪い、空気が汚い)、長時間労働、高い物価、長距離通勤、スラムの発生、社会的孤立、自然からの隔絶 などです。

他方の農村もまた、美しい自然に囲まれ心穏やかな生活を送れる場としての魅力はあるものの、都市とは違う面で多くの問題を抱えていました。
低賃金、就業機会の不足、娯楽や社会的活動の場の欠如、それによる人々(労働人口)の流出 などです。

この「都市 or 農村」という究極の二択に見える関係に対し、「第三の選択肢」を提示しようとしたのがハワードでした。


三つの磁石(The Three Magnets)

ハワードが示した「三つの磁石(The Three Magnets)」(出所:明日の田園都市


ハワードは、それぞれに一長一短を持つ「町(town)」と「いなか(country)」を、人々を惹きつける磁石(magnet)に例えています。
そして、この町(都市)といなか(農村)という二つの磁石のほかに、三つ目の磁石として「町・いなか(town-country)」という概念を持ち出し、それは、都市と農村のそれぞれの魅力が合わさり、欠点が打ち消された存在なのだと主張しました。

つまり、町(都市)のように活気があり、いなか(農村)のように自然豊かな生活ができるという場所が「町・いなか」であり、そのような都市と農村が融合した理想的な状態=都市と農村の結婚を目指した「田園都市(Garden City)」の建設を訴えたのです。

そして、この試みが上手くいけば、都市の周辺に複数の「田園都市」が建設されていくことで人々の都市部への流入が止まり、大都市ロンドンの都市問題の解決につながると語り、資本家たちに建設への協力を呼びかけたのですした。

実際には、選択肢はみんながいつも考えているように、二つ ―― つまり町の生活といなか生活 ―― しかないわけではない。第三の選択肢があり、そこではきわめてエネルギッシュで活発な町の生活の長所と、いなかの美しさやよろこびのすべてが完全な組み合わせとなって確保されるのだ。そしてこの生活を送れるという確実性が、われわれみんなの追い求める効果を生み出す磁石となる――人々は混雑した町を自発的に出て、優しき母なる大地の腹部に戻るのだ。

明日の田園都市, p4 ※筆者太字化

そこでわたしは、「町・いなか」ではあらゆる混雑した都市で楽しまれているのと同等、いやそれ以上の社会的な交流がいかにして楽しめ、しかも自然の美しさが、そこの住民一人一人を囲み、包み込むようになるかを示すことにしよう。高賃金がどうすれば低い地代や物価と共存できるかを示そう。万人にとって、雇用機会がたっぷりあり、向上の明るい見通しも確保できる方法を示そう。資本が引きつけられ、富がつくられる方法を。最高に望ましい衛生状態を確保するやりかたを。万人に美しい家と庭を与える方法を。自由の領域が広がり、しかも同時に幸せな人々によって、協調と協力の最高の結果がもたらされる方法を示そう。

こうした磁石の建設は、もし機能するようにできれば、当然のこととして同じものがもっとたくさん作られるようになり、ジョン・ゴースト卿がわれわれにつきつけた火急の問題「潮流を逆転させて、人々が街に流入してくるのをやめさせなくてはならない。人々を土地に戻すのだ」に対する回答となるのはまちがいない。

明日の田園都市, pp.6-7 ※筆者太字化

ハワード自身は都市計画の専門家でも建築家でもなかったものの、ロンドンに生まれ、また議会の記者としても働いていた経験をもとに、大都市ロンドンと農村が抱える問題点を生活者目線でもまた為政者目線でも間近に見ていたことが、このような壮大なプロジェクトの提案に繋がったのだと考えられます。

そして、この田園都市の建設構想が世界で最初に実現されたのが、ロンドンから北へ約50kmに位置するレッチワース(Letchworth)でした。



田園都市レッチワース(Letchworth Garden City)

ロンドンから鉄道で30分ほどでアクセスできる「Letchworth Garden City Station」

田園都市構想の発表からわずか5年後の1903年、世界で最初の田園都市・レッチワースの建設がスタートします。その計画人口は32,000人。

中央には大きな広場、それを囲うようにタウンホールや飲食店、娯楽施設、駅といった「都市」的なアメニティがまちの中心に集められ、その外側には広場から放射状にのびる道路に沿って緑豊かな住宅エリアや公園、緑地といったある種「農村」的な豊かな住環境、自然環境が広がるという計画でした。
そして、レッチワースの外周部には緑地帯・グリーンベルトを配することで、田園都市自体の拡大を抑制しました。

また、1912年から1920年にかけて中心部にコルセット工場(Spirella Company)が建設されるなど、「都市」的な雇用機会も生み出されていきました。

1903年、ハワードの構想をもとに都市計画家レイモンド・アンウィンと建築家バリー・パーカーにより描かれた、レッチワース田園都市のマスタープラン(出所:RIBA



と、ここまで田園都市の概要紹介とレッチワースの頭出しをしたところで【導入編】は終わりにし、次回に、建設開始から約120年が経過した現在のレッチワースについて現地の写真と数字をもとに見ていきたいと思います。

現在のレッチワースの空撮写真
(出所:Letchworth Garden City Heritage Foundation



References
エベネザー・ハワード:著、翻訳:山形浩生、"明日の田園都市”(2010 年 4 月 11 日)
Letchworth Garden City Heritage Foundation, ウェブサイト
Garden City Collection
Letchworth Garden City Business Improvement District, INTRODUCING Letchworth Garden City

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