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2021年2月4日、フジファブリックの「手紙」を聴いた日。

音楽好きの界隈の片隅で生きる人間として、一時期邦楽界を風靡した、フジファブリックというバンドはもちろん知っていた。

「若者のすべて」「茜色の夕日」など数々の名曲を残していること、そしてその名曲を書き・歌っていた中心人物の志村正彦氏が、2009年に突然旅立ってしまったこと。
当時まだ音楽に疎かった私の耳にもそのニュースは届いてきたほどに、志村正彦氏の存在は、音楽界の失った大きなもののひとつだったんだろう。

7年前に別のバンドがきっかけで日本の音楽、特に邦ロックが好きになってからも、正直なところ、フジファブリックというバンドの曲と真面目に向き合うことはなかった。

なにせ邦ロックという世界の魅力に目覚めてまだ7年、その世界を知れば知るほど好きなバンドは増える一方だし、その間にも次々に、若手で実力もセンスも兼ね揃えたバンドが出てくる。この7年はそれらを追いかけるので精一杯の日々だった。

もちろんたまにフジファブリックを聴くことはあったが、気まぐれに一曲単位、それも全てが志村氏の作詞作曲によるもので、「現在の」フジファブリックについて、ほとんど何も知らず、知ろうともせずに日々を過ごしてきた。

ところが今年、何気ない気持ちで初期の名盤「FAB BOX」を聴いたことで、その曲の素晴らしさに心を動かされ、フジファブリックへの興味が湧いた。
検索ボタン一つで様々な情報が手に入る今の世の中、一通りの概要を知ることは容易かった。

一番有名であろう「4人」のフジファブリックになるまでに、様々な出来事があったこと。
志村氏の死後は、山内総一郎氏がGt/Voを務めていること。全てではないが作詞作曲も多く手掛けていること。
その後も武道館ライブ、さらには周年記念の大阪城ホールでの公演など、着実に支持者および活動の場を広げてきていること。

そんなことを一通り知ったその後、家族からの紹介でこのコラムを目にする。
https://ongakubun.com/posts/2742

ここに書かれている「手紙」という曲を、私は知らなかった。

でもこの「手紙」という曲が
山内氏が、今のフジファブリックが、これまでの、そしてこれからの自分たちの旅路についてを、シンプルかつ丁寧な言葉で綴った
「聴かなければいけない曲」だということは、なんとなくだが私でも察することができた。


そして話はやっとタイトルに戻る。
今の時代、聴こうと思えばサブスクでその場で聴くことは簡単にできたのだが、サブスクの音質で手軽に視聴を済ます気持ちになれなくて、「FAB LIST 2」を通販で購入、
リッピング等の作業を終え、今日やっと視聴に至れたというわけだ。

https://youtu.be/pQlDS7qap2U

ここまで引っ張ってしまって若干申し訳無さが残るけれども、
曲そのものの感想や考察、それに伴うフジファブリックについての事は、上記のコラムに素敵な文章で全て綴られているので
まだにわか程度の状態で、かつ文章力のない私が触れるのはよしておこうと思う。


その代わりには残念ながらならないが、私が綴れることといえば、やはり自分のことになる。

宣言通り完全に私事になるが、私には2年経つ今もまだ受け入れられていない「さよなら」がある。
それは18歳という多感な時期に家族に迎えた、飼い犬との「さよなら」だ。
飼い犬を迎えた5年後に私は大学を卒業し、仕事のために今住むこの街、東京にやってきた。

「何もかもがある街に住んで」その生活にも慣れてきた8年目のある日の朝、電話越しに飼い犬が急逝した知らせをきいた。

「何もない部屋でひとりきり/情けない僕は涙をこぼしてた」
間際に駆けつけて看取ることはおろか、仕事に流されて旅立ちを見送ることすら出来なかった自分が情けなくて悔しくて情けなくて、ただ噎び泣くしかできなかったあの日を思い出した。

「さよならだけが人生だったとしても/部屋の匂いのようにいつか慣れていく」
でも、それは乗り越えるというより、いつしか生活の、人生の一部として自分の中に溶け込んでいくものなのだろう。

それがなんだか素っ気なくてもの寂しくても、
「さよならさえも言えずに」時を過ごしてしまっても、
それでも「夢と紡いだ音は忘れはしない」ように、一緒に過ごした日々の幸せな事実が消えることはないのだと思う。

「もう何年も切れたままになった弦を/張り替えたら君ともまた歌えそうな夕暮れ」
切れた弦がそのまま勝手にもとに戻ることはありえない。
自分で新しい弦を用意して、自分の手で張替えなければ、次の音を奏でることはできない。

それはつまり、もう戻ることのない志村さんに宛てた、山内さんなりの決意のメッセージなのかもしれない。
"張り替えたフジファブリックという弦で今度は自分たちが歌を奏でるから、よかったら君も天国から一緒に歌ってくれないか"
そんな意味が込められているような気がした。

それと同じように、私の切れたままの弦…ではなくリードの先に、あの子がやってくることはもうないのだ。

新しいリードを用意するかどうかは、まだわからない。
それでも、今は悲しくてまともに通れないあの裏道の定番お散歩コースを、天国のあの子と一緒に歩ける日が(もう少し先になりそうだが)来そうな気がした。


百万回生まれ変わってでも、大切なひとと寄り添っていたい気持ちは、誰もがもっているものだと思う。

その上でたとえ「さよならだけが人生だったとしても」、
「きらめく夏の空に君を探して」みたり、遠い街で出来た大切な人のことや他愛のないことなど、「話したいことが溢れ出て」きたりするように
「さよなら」は [喪失] ではなく、ただ、付き合い方の形が少し変わるだけ、なのかもしれない。

たくさんの「さよなら」で形造られたフジファブリックの、ついでに私の旅路は、明日もまだ続く。
その旅路の中でまたいつかやってくる、新しい「さよなら」に、悲しくて辛くて涙が止まらなくなった時は
またこの曲を聴いてみようと思う。

そうしたら、この凡庸で陰気臭い旅路も、夕日のように少しだけ輝いてくれるかもしれない。
それなら、私は私の旅路を、明日だけでなく「これからもずっと」続けて行けそうな気がした。


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