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私と「うちのこ」たち

オリジナルのキャラクターをつくって何かしらの創作に励む人は、自分の生み出した架空の存在たちを「うちのこ」と呼ぶことがある。ずいぶんと長くその界隈にいる私も、そういいたくなる気持ちはよくわかる。

私が初めてキャラクターを考えて物語を作ったのは、小学生のころだったと思う。中学生になり、同じく創作が好きな友だちができたとき、もう少していねいに設定を練って、小説らしきものを書くようになった。

高校ではガラケーを片手にネットに作品を公開し、大学ではTRPGにハマって、ゲーム用のキャラクターをたくさん創った。社会人になってもイラストを描いたり、キャラクターデザインの企画に参加したりするなど、今日までずっと創作を続けている。

これまでに生み出した「うちのこ」の中でとくによく描くのは「しらたきくん」と「ヨウカンぬい」だ。

「しらたきくん」は、クールなキャラクターに見えるが、子どもっぽい、ふわふわした喋り方をする。反対に、考え方は大人びていて、視野も広い。そのギャップのおかげか、わりと人気もあるキャラクターである。

しらたきくん

「ヨウカンぬい」は、しらたきくんがつくった不思議な生き物で、もとはぬいぐるみだった。からだに魔法の石が入っていて、その力で動いたり、しゃべったりできるようになった。ファンの間では「ぬいちゃん」と呼ばれてかわいがられている。

ヨウカンぬい

振り返ると、かれこれ20年近くも私はキャラクターを創り続けている。イチから見た目を考え、設定にもこだわり、実際に物語を作ったりゲームのプレイヤーとして動かしたりしていくと、それはもう可愛くてかわいくて仕方なくなる。本当に「うちのこ」に見えてくるのだ。

だから、ノリと勢いだけでつくった作品の挿絵に描いた、からだや顔のバランスがめちゃくちゃなキャラも、大切に保管してある。なかには、設定やデザインを組み直し、復活させたキャラクターもいる。

最近は「うちのこ」たちに対する接し方も変わった。昔は、コイツをひどいめに遭わせたいという軽い気持ちで、大怪我をさせたり、心に傷を負わせて追い詰めたりするような話をよく書いていた。出てくるキャラクターが戦いで全滅する話も考えたこともあった。

でも「ひどい目に遭わせるか……」と思っても、手が止まってしまうし、胃が痛くなってくる。現実の世界ではないのに、とても悪いことをしているような気がする。だからいつも私の考えるバッドエンドの物語は未遂で終わっていた。

いまは私が創る物語の中で大怪我をしたり、心を病んだりすることがあっても、最後にちゃんと幸せにする方法はないかと考えている。この思いやりは悪役でも同じで、

「なんとかコイツを改心させられないか? このままでは、あまりにむごい人生の終わらせ方にならないか? もし命を落とすとしても、その理由や事情に納得できるか?」

といったリアルな問いを立てられるようになった。物語の中で演じる役割がどうであっても「自分と同じ生きている存在」として「うちのこ」たちを動かせている気がする。

ただ、こんなことを書いておきながら、じつは、私には最後まで書ききった作品がひとつもない。キャラクターと設定まではネットで公開しているが、肝心なストーリーは頭の中にしまったままか、さわりの部分だけ発表したあとは続きを書かなくなり、消してしまうかのどちらかになるのだ。

こんなに自分のキャラクターに思い入れがあり、大切にしているのに、この扱いはちょっともったいない気がする。短い話になってもかまわない。少しずつ頭の中にある世界を解放してみようと思った。


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