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犬のおっちゃん①          ~訪問看護での経験~

10年前、施設看護師になる前は、長い間 訪問看護をしていました。その中で忘れられない方のお話をまとめたいと思います。


地域で有名な犬のおっちゃん  Mさん

当時、私は病院での訪問看護に当たっていた。

「大変臭うございます」そう言いながら、Mさんは診察室に入ってきた。
ある年の3月はじめ、少しだけ暖かくなってきた穏やかな夕暮れ、ボロボロの服に、伸び放題のひげ・・・
ひどい身なりのMさんの訴えは
「右の胸がピリピリと痛み、だんだんひどくなっている」との事だった。

診察した医師は
「表面的には何もない、念のためレントゲンを撮っておきましょう」とだけ言って、足早にその場を去ってしまった。
伺うと、自宅の風呂が壊れて以降、10年以上風呂に入って居ないとの事、たくさんの動物を飼っていたMさんは、動物のせいなのか、体臭なのか、実際得も言われぬ臭いを放っていた。

Mさんは、その地域で「犬のおっちゃん」と言われており、30匹くらいの、たくさんの犬をいっぺんに散歩させている姿で有名だった。
私は、訪問看護で外に出ることが多かったので、度々その姿に出会うのだが、感心することに、その犬たちはいつも、きちんと整列し、順番を守り、リードが絡むこともなく、賢く散歩しているのだった。

Mさんの病名、彼のミッション

検査の結果、Mさんの病名は「肺がん末期」だった。
余命3か月と診断され、彼は一切の治療を望まず、大切な仕事のために自宅に帰ってきた。
実は彼の家には、犬30匹だけではなく、同じく30匹以上の猫も居て、ウサギは8把、亀が7匹も居た。
その動物たちの里親を探すことが、彼の大切な最期の仕事だった。

診断を受けた後の、Mさんの散歩姿は変わっていた。いつもの散歩姿の後ろに、数人の人がぞろぞろ付いていくのだった。
そうして、犬は少しずつ減っていった。
京都にあるボランティア団体の方にも、協力してもらっていたらしい。

最後の外来受診

1人で歩くことが困難になって、付き添いの方と外来受診をされるようになった。
付き添いの方の、1人は牧師さん、1人はハーフのきれいな女性、田舎の病院の外来で、Mさんは、流ちょうな英語で会話をしていた。
その様子を、他の患者さんは、物珍しそうにじろじろと見ていた。

私は外来の医師から呼ばれて、今後は訪問看護に行くように指示された。
付き添いの女性Kさんはとても不安そうだったが、Mさんは
「まだ、動物が残っています。あの子たちをきちんと里親に預けるために、自宅で療養したいので、定期的に来てください、これからどうぞよろしくお願いします」と深々と頭を下げた。

訪問看護開始

すっかり春になり、暖かい日、庭には薄紫色のライラックが満開で、甘い香りが漂っていた。
自宅はよく知っていた。田んぼの中の一軒家は、まるで大きな大きな犬小屋のように、窓ガラスは無く、鉄の柵がはめ込まれた、これまた地元で有名な家だった。

「お邪魔します・・・」恐る恐る玄関を開けると、Kさんが待っていてくれた。
「どうぞ、靴のままお入りください」そう言って、奥のMさんのベッドに案内してくれた。ベッドは大きくて、そこだけはかろうじて靴を脱いで上がる場所だった。
部屋の壁も天井も蜘蛛の巣が張り巡らせていた。
美しいKさんは、素早く私の訪問バックを置く場所を作ってくれ、椅子を用意してくれた。

「体調はいかがですか?胸は痛みますか?」
「痛みはそんなにでも無いんですが、体力が落ちてしまってね・・・座っているのもしんどくて、食欲も無いしね・・・仕方ないんですけどね・・・
でも、家で点滴してもらえると聞いて、安心しました。よろしくお願いします」とMさん。


蜘蛛は益虫


早速点滴を始めようと準備をするのだが、どこに吊っていいものか悩んだ。
枕もとの壁の一部の蜘蛛の巣を払い、釘の出ているところに点滴を吊ろうとした。
「気を付けて、出来るだけ、蜘蛛の巣を取らないで!!」とMさんは、かなり強めに言った。私はびっくりした。
「蜘蛛はね、益虫なんですよ。たくさんの蜘蛛たちが居たから、うちの子(犬)たちはフィラリアにならずに済んだんです。蜘蛛に守ってもらっていたんです。」

さあ、いよいよ点滴をしようとすると、脱水のMさんの血管はとても出にくい。自分の腕を見て
「この血管がいいんじゃないかな?こっちは曲がっているから止めた方が良い・・・」などと事細かく言う。
正直、任せてくれればいいのに・・・・と思った。

たくさんの犬、猫を飼っていたMさんは、獣医師にも知り合いが居て、獣医師から点滴を教えてもらって自宅でやっていたこともあるらしい。だから、点滴が得意だと言っていた。

いざ、針を刺そうとすると「針の角度が悪い」「それじゃ浅い」などと、とてもうるさかったが、何とか点滴を始めると、ほっとして目をつぶった。

最初は週に3回程度、その後、毎日点滴をするようになった。
通い始めた頃、数匹だけ残っていた老犬も、里親が見つかり手放した。
「自分がこんな状態になっても、一匹も殺すことなく、引き取り手が見つかったことが嬉しい。悔いはない。」と話していた。

犬のおっちゃん②に続く・・・

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