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まだ見ぬ荒野にレールを描く ~中国生活奮闘記①~

このエッセイは、単体でも読んでいただけるように書きましたが、以前書いた「レールの上を歩くはずだった僕の人生が変わった時の話」と、その続編「レールから外れた僕が迷い込んだ『別世界』」を読んでいただけると、より話がわかるかと思います。


「没有。」は、僕が中国に住み始めてから2番目に覚えた言葉だ。

「メイヨー」と発音するこの中国語の意味は「無い」。街のスーパー、レストラン、あらゆる店員に辿々しい中国語で尋ねても、返ってくる言葉は大体が「没有」だった。ちなみに僕が1番最初に中国で覚えた言葉は、チーム合流初日の夕食でチームメイトが教えてくれた「西瓜(シーグァ)」という言葉だった。
意味は「スイカ」だ。

三種の神器

中国人単体のアイスホッケーチーム「チャイナドラゴン」に合流してから数日が経った頃、僕はある「敵」と戦っていた。それは言葉が通じないチームメイトでも、試合の対戦相手でも、口に合わない食事でもなく、「不便」という敵だった。

アイスホッケー選手は通常、防具を着用する際にアンダーシャツを上下に着る。寒いリンクで行う競技ではあるが、選手は大量の汗をかき、使用後のアンダーシャツは絞ると汗が滴るほどだ。僕は2セットしか持っていないアンダーシャツを使い回すために、それを毎回洗濯する必要があった。

2009年を生きる日本人にとっての「三種の神器」が、1950年代のそれと変わっていなかったのは、当時の僕だけだったかもしれない。ハルビン体育大学キャンパス内にある僕の最初の「家」には、洗濯機がなかった。中国人選手に相談をしたが、当然のように「手で洗え」というジェスチャーを返されたので、僕はデロリアンで時空を超えたマーティーの気持ちが少しだけ理解できた気がした。

普段着のTシャツなどは何枚か予備があったので、何日かおきに手洗いすればなんとかなったが、アンダーシャツは毎日洗濯する必要がある。最初は手洗いでなんとかなっていたが、手洗い洗濯の際に一番困るのが、脱水作業だった。いくら力強く絞っても、分厚い靴下などは翌日までに乾かないことも多く、バスタオルでぐるぐる巻にして絞る方法も、毎日やるのはめんどくさいし、何より手のひらが痛くなるのでやめた。僕は次の休日は、近くのショッピングモールに行き、手動で回す「野菜の水切り」を買うことを決心した。

笑顔の捏造

結局、「野菜の水切り」は無かった。店員にことごとく「没有」の言葉を浴びせられ、僕は肩を落として帰宅した。今でこそ”ポチ”れば一発で解決してくれるのであろうが、当時はそんな選択肢はなかったため、僕は次の作戦を考えた。

物価が安い中国。当時はタクシーも1キロあたり日本円で20円くらいだったと記憶している。そこで僕は、クリーニング屋を探すことにした。日本でアンダーシャツを洗うためにクリーニング屋を利用する人なんて、高級スポーツクラブに通うセレブくらいなものだろう。きっと中国のクリーニング屋の料金は、タクシー1メーターの料金と同じくらいだろうと考えたのだ。ちなみにコインランドリーも探したが、そんなものは当然「没有」だった。

近くに古びたクリーニング屋を見つけた。クリーニング屋といっても、日本の住宅街にあるそれとは違い、「洗濯代行業」と言ったところだろうか。恐る恐る中に入ると、ドラム式の大きな洗濯機の向こうに、おじさんが何かにアイロンがけをしている姿が見えた。

僕はあらかじめ中国語でいくつかの文章を書いた紙の中から「洗濯機を使わせてください。」の文をおじさんに見せたが、おじさんが何を言っているのか全く理解できなかった。店の奥にいた家族らしき女性が、電卓を持ってきて説明してくれた。料金は思いのほか高かった。アイロンを指差していたので、僕の洗濯物がYシャツか何かだと思ったのだろう。このままアンダーシャツをおじさんに渡せば、確実にアイロンをかけられポリエステル製のアンダーアーマーは一瞬にして溶けてしまうと思ったので、僕は必死にアイロンを指差さして「不要(プヤオ)」と伝えたが、会話にならなかった。

そうこうしていると、店の奥の方に”普通の”洗濯機があることに気がついた。ただ、それが「業務用」ではなく、おじさん家族が使う「生活用」の洗濯機であることは、僕にも見てすぐにわかった。しかし、せっかく見つけたクリーニング屋、ここで引き下がるわけにはいかない。僕はその洗濯機を使わせて欲しいとお願いした。

当然、これは生活用だからダメだと断られるのかと思ったが、おじさんは、
「仕方ねぇ。貧乏学生のために貸してやるか。」
といった表情で、オーケーサインを出してくれたのだ。僕は二層式の洗濯機の"洗う方"に持参したアンダーシャツと練習着を入れ洗濯を開始したが、”脱水の方”に移すまでの「沈黙の時間」に耐えることが1番辛いということに、その時はじめて気がついた。笑

洗濯が終わるまでの時間、見知らぬ日本人が店の奥の生活スペースに居座る光景は、違和感を通り越して不快感すら抱かせかねないーー。
考えた末、次回からは洗濯だけは手洗いをし、濡れた洗濯物を持ってきて脱水だけこのお店にきてやらせてもらおうと企んだ。

脱水が終わり、お金を支払おうとすると、おじさんとその奥さんらしき女性は僕からお金を受け取ろうとしなかった。しかし、僕としても何度もこのお店を利用しようと企てていたので、「タダ」にされてしまうと利用しにくくなる。むしろお金を支払わせてもらった方が楽なのだが、結局受け取ってもらえなかった。
「また利用しに来ます。」
僕はそんな中国語は用意していなかったで、できる限りの愛想笑いで「再見(ザイチェン)」と言い残し、次に訪れた時のための精一杯の印象づくりをして店を後にした。

次の日、僕は濡れて重くなった洗濯物をビニール袋に入れ、再びクリーニング屋へ向かった。
「また来たか貧乏大学生め。」
おじさんはそんな表情で僕を見つめたが、引き下がるわけにはいかない。僕は門前払いになる恐怖の中、昨日残していった愛想だけを頼りに、精一杯の笑顔を捏造した。

一瞬、アイロンがけをするおじさんの眉の片方だけギロっ動くのが見えたと同時に、おじさんの顎が店の奥の方向へ向いたのがわかった。オーケーサインだ。僕はそそくさと持ってきた洗濯物を”脱水の方”へ押し込み、ダイヤルを回した。

昨日より3分間が短く感じた。脱水後に、今度こそ僕はお金を払おうとしたが、やはりおじさんに受け取る様子はない。僕の愛想笑いにも限界があるので、この日はなんとしてでも支払いたかった。僕はポケットから1元硬貨を2枚出し、机の上に置いた。アイロンで両手が塞がったおじさんが何かぶつぶつ言っていたが、「それじゃ安い。」とは言っていないと判断した僕は、そのまま机に硬貨を置いて店を後にした。脱水の値段が決まった瞬間だった。

僕は軽くなったビニール袋を気分良く振り回しながら「家」に戻り、部屋の中に丁寧に干した。

その夜は日本から持参した「Back To The Future Part1」のDVDを見ながら、気がつくと深い眠りについていた。


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続編


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