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中田敦彦のYoutubeで「年収90万で東京ハッピーライフ」を見たら自分のことだった

中田敦彦のYoutube大学をたまに見ているが、彼がシンガポールに移住してからの動画が特におもしろい。海外に出たからこそ感じることや、視野の広がり方が動画に現れていて、それを見るのが楽しい。

彼の最近の動画で「年収90万で東京ハッピーライフ」という本を紹介しているのがあった。


この動画を見てみたら、「いや、これ、私やん」と思うことがあった。

この動画ではこの人がどうしてハッピーなのかについて詳しく説明しているが、それが随分自分と重なっていたのだ。



住居にお金をかけない

この筆者は東京の多摩で月28000円の激安、駅から徒歩25分の狭い家に住んでいるという。

自分はオランダのアムステルダムから電車で30分以上かかるところにある駅から徒歩25分のところにある一軒家に住んでいる。

以前はアムステルダムに住んでいた。日本にいるときも大きい街の都心部に住んでいた。

それは自分が早起きができないからチャリで15分くらいで会社に行ける距離に住んでいたからだ。高い家賃を払っていた。一番ひどいときだとアムステルダムの街中で、収入の半分を家賃に充てて暮らしていた。

お金がすごくかかった。それでも都心に住みたかった理由は会社が近いからというのと同じくらい都心に住む自分がかっこいいとか、刺激がたくさんあるのが楽しかったからだ。

私の住んでいたアパートはアムステルダムらしく、素敵な古い建物の一室で、窓からは運河が見えた。家の周りにはおしゃれなカフェやオーガニックスーパーやバーなどがあった。

そういうところに住んでいる自分が好きだったのだ。海外でおしゃれなところに住んでおしゃれな生活をしている自分が。

でも今はどうかというと、超田舎に住んでいる。まじで地名いうとアムスの人には「どこそれ?」と言われるし、オランダ人にいうと「え?あんなところ?」と言われるくらい別に人気都市でもなんでもない田舎に住んでいる。

しかもそんな田舎なのに家は駅から徒歩25分かかる。でも自転車だと7分なのでそんなに悪くはないと思っている。徒歩で歩く道のりにはスーパーなどのお店があるし、緑の中を歩くので気持ちがいい。

家は一軒家をつい最近買った。田舎なので家のローンは安い。カフェやバーなどもないので支出も減った。

正直、引っ越してきたばかりのときは都会のキラキラ生活から田舎のつまらない生活になってしまい、病んでいた。このnoteでも記事を書いたけど、本当に心が沈んでいた。

でも今はとても心が穏やかだ。家が広くなったので心にもゆとりが持てるようになった。庭の草木にも癒されている。


趣味が散歩と読書

これは自分とまったく一緒だ。私は読書だけではなくYoutubeも見るしブログも書くけど、読書する時間は以前より随分増えた。

家の近くには国立公園があって、公園という名前だけれどたくさんの野生動物が見ることができる森である。

夕飯を早くにたべて、19時か20時から森の中を散歩するのだが、これが本当に楽しい。ただただ森を歩く。1時間くらい。

魚が湖で飛び跳ねるのを見たり、キツネを見つけたり、綺麗な花を見つけたり、さくらんぼが色づいていくのを観察したり。

この散歩の時間が穏やかでとても気持ちがいい。都心に住んでいるときもたま〜に公園に行ったことはあったけど、毎日ではなかったし、森はちょっと離れたところにしかなかった。


読書をするようになったのは時間に余裕ができたからだ。以前は会社に週5日通っていたが、今は週2回出社して、3日は在宅で働いている。

在宅3日間は比較的時間があり、家事をしたり読書をして過ごしている。好きな音楽を聴きながら仕事ができるのもいいところだ。

もともと漫画は好きだが本は嫌いだったが、最近なぜか読書が好きになってきた。日本の本を知り合いの人に借りて読んだり、Kindleで日本の本を漁って読んでいる。

本には自分の知りたいことが書いてあったり、私の知らない世界があって楽しい。漫画のように絵がないので想像を膨らませないといけないがそれもまた楽しい。

都心に住んでいたときも本を読んでいたが、実は運河沿いにある家のバルコニーに腰をかけて本を読んでいる自分かっこいいと思っていた。読むふりをしてしっかりと読書をしていなかったと思う。

今は家のリビングや庭で太陽の光を浴びながら本を読むのが楽しい。自分の大好きなイギリスの真っ黒い紅茶に冷たいミルクを注いで、好きな音楽をかけて、犯罪系の本を読む。犯人は誰なのか想像するのが楽しい。


嫌いなことで死なない

「好きなことで生きていく」最近よく聞くキャッチフレーズだ。SNSの世界では好きなことで生きている人がたくさんいる。

自分もそうなりたいと思っていた。でも好きなことってなんだろう?ずっとわからなかった。

海外移住者は高みを目指す人が特に多いグループだと思う。特に、結婚して相手の国にきたとかではなく、自力で海外にきた人は何者かになりたがる傾向にある。

SNSで私はそういう人たちをたくさん見てきて、自分もそうならなければいけないとか、自分もそうなりたいと思っていた時期が随分長かった。

しかし最近気づいた。「私には無理だ」と。

とにかく私という人間はしょうもない。長い間「キャリアアップ」とか「スキルアップ」とか「昇進」とかそういうことに力を注いできたが、それは周りに影響を受けていて目指していただけだったんだと気づいた。

自分はもともと何か器用にできるほうではないし、頭もよくない。たまたま就職しやすい時期に卒業してラッキーで、大卒で大企業に勤められて、会社を辞めて語学留学したあとも、派遣から企業に入って、契約社員となって、会社の方針が変わって正社員雇用となり、たまたま人が辞めて昇進もさせてもらったが、ただの運であり、自分の実力ではなかったのだ。

それなのに自分にはすごく実力があるという意識が抜けず、海外にきてからも「もっとキャリアアップしたい」「もっとお金を稼ぎたい」と思って数年暮らしてきた。

でもなんかうまくいかない。もっともっと、と思ってもがいていてもうまくいかない。どうしてうまくいかないんだろう。日本ではうまくいっていたのに。もっともっともっとって。ずっとそんな感じだった。


でも結局自分は大した人間ではなく、仕事ができる人間でもないから、今の仕事が安月給で大したスキルがなくてもできる仕事だったとして、優しい人たちに囲まれて、楽に働けてお金をそこそこもらえていたらもうそれで十分なんだと思えるようになった。

本当は高みなんて目指したくなかったんだなって気づいた。その勘違いに気づけてよかった。私は楽して生きたいだらけた人間なのだ。

お金をたくさん稼ごうとしたり、キャリアアップのために転職を繰り返したりしたときは、周りにマウントを取ってくる人も多かった。

でも本当はそういう人たちと関わるのが苦しかったんだと、去年会社をクビになったときに気づいた。

SNSなんてマウントの取り合い合戦。優しい声をかけるふりしてマウントをとってくる人ばかり。

そんな人たちに関わりたくないと思ってSNSを全てやめてしばらく経つが気持ちが楽になったし時間もできた。


日本から飛び出してイギリスに留学したり、オランダで働き始めたときはどうだったか。

日本には大好きな友達も誇らしげな仕事もおしゃれな家もあった。

でも私はそういうものより自分が10年後どうしたいか考えたときに、「優しいパートナーと対等な関係で幸せな生活をしたい」と思ったのだ。

だから日本を飛び出して海外にやってきた。日本ではそれは無理だと思ったから。

日本でパートナーと対等な関係が作れるとは思えなかったし、仕事ばかりしていた自分に彼氏ができそうにもなかったし、婚活でことごとくモテなかった自分には一生結婚は無理そうだと思ったのだ。

でも海外ではそれができそうだと思った。夢みたいな話だし、実際そううまくはいかず、変な男たちと付き合って失敗ばかりしてきたけど、最終的に「優しいパートナーと対等な関係で幸せな生活がしたい」という夢は現実となっている。

嫌だったから日本から逃げた。周りには海外生活はそんなうまくいかないとたくさん言われたけど結局生き延びている。

そういう環境や周りの人から離れたかったんだなと。今は海外で本当に限られた人としか付き合っていないけどそれで全然いい。


自分の生活を変えられるのは自分だけ

自分の生活や心の持ちようが変わったのは紛れもなく、自分が行動してきたからだと自負している。

日本から海外に出たこともそうだし、SNSを辞めたことも、仕事はクビになったが再就職できたのも、パートナーができたのも、自分が行動してきたからこそ手に入ったものだ。

違和感を感じたことに向き合うと、自分に素直になれる。

違和感とはたとえば仕事でキャリアアップ路線に乗せられていたときに「本当にこれでいいのか」と思ったことや、

小さい時からいい大学に行っていい会社に勤めて高収入の人と結婚するという世間や親の期待に沿ったレールに乗って生きてきたときに「本当にこれでいいのか」と思ったことや、

付き合ってきた男たちから言われた一言で傷つき、泣き、それでも自分は彼を愛していると思い込んでいたけど「本当にこれでいいのか」と思ったことや、

仕事をクビになって再就職した仕事が思っていたのと違っても、自分はそのとき最高のタイミングで拾ってもらって優しい人たちに囲まれて仕事ができていることに喜びを感じていたのに、周りからもっと高みを目指すっっていってたのにそれでいいの?と言われたことに「どうして私の幸せをあなたが決めつけるの?」と思ったことなどだ。

本当に自分はこれでいいのか?こうやって我慢していていいのか?本当に嬉しいのか?本当に幸せなのか?

それを自分自身と話し合って、「いや、だめだろ」と思って反抗して行動してきた。

私は今自分自身に正直だから幸せなんだと思う。

海外に住む友達とこの前電話で話していたときに彼女が言っていた。

「明日死んでも構わない。やり残したことはないし今日が一番幸せだから。」

かなり同感した。

私は「今」を生きている。「今自分が幸せか」を考えて生きている。

見栄とか理想とかそんなことはどうでもいい。自分が無理せず生きられる、それが幸せな暮らしなんだとやっと気づいたのだ。






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