見出し画像

古都アンティグアで沈没 南北アメリカ自転車縦断 グアテマラ(3)

12月29日にアンティグアにある日本人宿「ペンション田代」に到着。アンティグアはグアテマラがスペイン植民地だった頃は首都だった町で、植民地時代の建築物が多く残っていて世界遺産になっている。標高が1,500mあるのでとても過ごしやすいし、中米諸国の中では比較的物価も安いので、ラテンアメリカを旅する外国人旅行者の多くがこの地で比較的長く滞在する。街にはそんな彼らのための語学学校もあったりする。

私自身はスペイン語学校には行かなかったが、ペンション田代に泊まっている旅行者の何人かはスペイン語を学習していた。(レッスンは1対1の完全プライベートで授業料は1回500円くらいらしかった。)

アンティグアでスペイン語も勉強せずにただひたすらグータラな生活を送っていた私がはまったのは読書。

これは宿泊者を長期滞在させるための日本人宿経営者による「策略」だと思うのだが(笑)、大抵どこの日本人宿にも多くの本が置いてあって、宿泊者は自由に読んで良いようになっている。

ペンション田代にもたくさんの面白そうな本が置いてあった。そして面白そうな本ほど長編だったりする。(「竜馬がゆく」なんて読み出したら最低でも3泊はしないといけなくなる(笑)。)

そういうわけで、来る日も来る日も読書して過ごし、気づいたらなんと22連泊(!)になっていた。

もちろん、出会いは本だけではない。相部屋だったのだが、同じ部屋の人たちは皆非常に愉快な人たちだった。整体師を目指しているイケメンK君、山登りのスキルが非常に高いが四六時中酒ばかり飲んでいるY君、そんなY君にいじられてばかりいる大学休学中のO君(彼もアラスカ~南米まで自転車で旅行していた)、それにオートバイで同じくアラスカ~南米を巡っている実はお金持ちのN君(株で大もうけしたらしい)とは意気投合した。

1つだけ残念だったのは、女性の旅行者とは誰とも仲良くなれなかったことである。サルサの先生をしているらしい長期滞在の女性をリーダー格としたグループのようなものが出来上がっていて、彼女たちは自分のグループ以外の人とはあまり交流したがらない感じだった。

例えば彼女たちは正月にちらし寿司作ったのだが他の宿泊者に振る舞うこともなく、彼女たちだけで食事をしてしまう。

リーダーがかなり勝気な性格の方だったようで(笑)、どうやら私がペンション田代に到着する数日前に、彼女と酒飲みY君との間でひと悶着あったことが原因らしかった。

メキシコのサン・クリストバル・デ・ラス・カサスの日本人宿でやったようにみんなでご飯を作って一緒に楽しみたかったし、あわよくば女性の方と仲良しになりたかったのだが(笑)、残念ながらそれは叶わず。

それでも「野郎たち」と一緒に過ごす日々は楽しかった。皆ヒマ人なので、一日の一大イベントは「夕飯」になる。毎日の楽しみが「今日は何作ろうかな~」くらいしかないので、そこに全力を注ぐことになる。実際野郎たちが作る料理は最高だった。我らがK君が料理大得意で、私もほどほどにはできるので、正月はK君が筑前煮、私がきんとんを作ったし、それ以外もコロッケ、オムライス、鍋、焼鳥丼などなど、どれも感激するほどの出来栄えだった。

アンティグアの街自体も古都の雰囲気を醸し出す非常に良いところだったが、アンティグアの素晴らしさはやはり間近に見えるアグア山とフエゴ山によるところが大きい。アグア山は日本人旅行者の間で「グアテマラ富士」と呼ばれるくらい、富士山に似た形をしている。標高も3,766mと富士山に非常に近い。

アグア山の反対にあるのがフエゴ山でこちらは活火山で噴煙を常に上げている。1回だけだが、夜に小規模噴火して、真っ暗な中、噴火口からまるで花火のように吹きあがるマグマがオレンジの光を放ってきれいだった。

初詣(?)として正月明けに「野郎ども」皆でアグア山に登ってみた。ふもとのサンタ・マリアという村から登り4時間半、下り3時間。気象関係のものだろうか、頂上には色々な建物が建っているのが少し興ざめではあったが、それでも自分と同じ高さにフエゴ山とその噴煙が見えるのは大迫力だった。

※※※※※

さすがに22連泊もして体がなまってしまったので、グアテマラ北部にあるアティトラン湖に面した町パナハッチェルに行ってみた。アティトラン湖は現地では「世界一美しい」と言われている湖である。

パナハッチェルには、定年退職後にパナハッチェルに移り住んだ村岡さん夫婦が最近始めたばかりの宿があった。そこに5泊お世話になった。

話し好きのご主人とは本当に色々話をさせてもらったし、ご婦人の手料理(カレー、とんかつ、酢豚、等など)は日本で食べたとしても「美味しい!」と心から思えるくらいの料理だった。(これらをグアテマラで食することができるなんて最高としか言いようがない。)

しかし、私にとってパナハッチェルでの滞在が最高に楽しかったのは、村岡さんのところにジェシカがいたからだろう。ジェシカは英語の名前だが、実は彼女は韓国人。パナハッチェルの私立学校で英語を教えるボランティアをしていたのが、キッチン付きの住居を探している間、一時的に村岡さんのところに滞在していたのだった。

(ちなみに日本人以外のアジアの人々は、英語圏では英語名を持つ人が多い。好きな英語の名前を選んで自分で勝手に名乗っているだけなのだが。)

村岡さんのところでは宿泊客はジェシカと私だけだった。1日目の夕食で出会ってからすぐに仲良くなり、2日目は一緒にチョウ園へ行った。村岡さんによると、この辺りにしか生息していない羽根が透明のチョウがいるらしいのだが、数日前に木が倒れて園を覆っていたネットに大きな穴が開き、チョウは皆逃げてしまって結局一匹も見れなかった。(ネタとしては面白い。)

3日目には湖畔の温泉へ。温泉と言っても、温泉施設があるわけではなく、砂浜を掘ると温水が滲み出てくるので、下半身だけちょこっと浸かるだけだったけど。

その場で何週間かぶりに髭を剃ろうとしたときに、彼女が「セルビソ(スペイン語で「サービス」)」とはにかみながら言って、手鏡を出して、私が髭を剃る間ずっと手鏡を私に向けてくれる。

、、、胸がときめく。これって完全にデートじゃない?

4日目は一緒に「世界一美しい」湖に沈みゆく夕陽を見た。辺りが夕日に染まる中、彼女は持ってきたウクレレを取りだし、韓国の歌を歌ってくれた。お返しに日本の歌を歌う。湖は美しいし、そして彼女も美しかった。

5日目、彼女は住むところが見つかったので、新しい家に引っ越していった。引っ越しを手伝いながら、告白しようかどうしようか迷った。なんとなくだが告白したら彼女はイエスと言ってくれそうな気がする。(ただし、恋愛関係については私は自分の予測ほど当てにならないものはない、ということをこれまでの経験上良く分かっている(笑)。)

、、、で、結局告白はしなかった(←なんじゃそりゃ(笑))。

彼女は少なくとも1年はここパナハッチェルに留まる予定だし、自分もこの先まだまだ先は長い。仮に付き合うことになっても、しばらくは離ればなれになってしまう。メアドは交換している。もし本当に縁があるなら、この先どこかでまた出会えるだろう。

※※※※※

6日目、村岡さん夫婦と別れて、ペンション田代に戻る。ペンション田代でさらに3泊。その間にグアテマラシティの中央郵便局に行って、実家から送ってもらったタイヤやチューブを無事受け取ることができた。

チューブとタイヤ、更にブレーキも交換する。(ブレーキパッドはアメリカで購入していた。)今までのブレーキはパッドが完全にすり減って、もはやブレーキと呼べる代物ではなくなっていた。(実際、走行中ブレーキはほとんど効いていなかった。)よくまあここまで無事に来れたものだ、と自分の幸運に我ながら驚く(笑)。

「野郎たち」は皆とっくに出発して先を行っている。彼らに追いつくために(別に追いつかなければいけない理由はないのだけれど)、1月28日にアンティグアを出発する。

1か月ぶりのサイクリングで体が思うように動かない中、この日は2号線沿いのチキムリリャまで走った。チキムリリャからエルサルバドルとの国境までは45㎞。明日からまた新しい国のサイクリングとなる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?