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ガラパゴス前編 南北アメリカ自転車縦断 エクアドル(3)

4月20日、キトの宿に自転車やその他の荷物を預けてガラパゴスに向かう。ガラパゴス行きの飛行機は朝7時30分発だったので空港で朝食のパンを食べたが、機内でまずは朝食のサンドイッチが出て、その後ガラパゴス到着前にかなり立派な昼食(朝食?)も出た。

乗るまで知らなかったが、飛行機はグアヤキル経由だった。グアヤキルは首都キトよりも人口が多いエクアドル最大都市である。

グアヤキルまでは本当にあっという間。離陸して、高度を上げて、サンドイッチが出てきて、それを食べ終わるともう高度を下げていた。途中、雲の上に顔を出す「エクアドル富士」ことコトパクシ(5,897m)とエクアドル最高峰チンボラソ(6,310m)がバッチリ見える。どちらも雪山だった。

グアヤキルで多くのビジネス客が降り、そして多くの観光客が乗ってきた。

着陸前に隣に座っていたアメリカ人に話しかけられる。彼も私と同様ガラパゴスでのクルーズの予約はしていないが、彼は町に行かずに空港でクルーズの客引きを探すつもりだそうだ。「その方が効率も良いだろう。この考えどう思う?」と聞かれたが、そんなこと聞かれても自分には何も分からない。「いいね」としか答えようがない。

彼は私に一緒に行動して欲しかったようだが、しかしクルーズ船に1名しか空きがない可能性もある。それに彼はとても身なりが良いので多分それなりにグレードの高い船を選ぶだろう。「この船たったの1,000ドルだって。ぜひこれにしよう!」なんて言われたらたまらない(笑)。

「自分はとりあえず時間もあるからプエルト・アヨラの街まで行くつもりだ」と伝えたら彼はちょっとがっかりしていた。

上空から見る島々と大海原はとてつもなく美しかった。

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空港に着いて、100ドルの国立公園入場料を払う。アメリカ人の彼はうまくクルーズを見つけたようで、現地のスタッフらしき人と別の建物へ行ってしまった。

なるほど、じゃあ自分も探してみよう、と空港にいた現地スタッフに声を掛けてみるが、彼らは皆事前予約の観光客を迎える人たちだった。アメリカ人の彼と行動を共にしなかったことを半ば後悔しつつ、ガラパゴス諸島の中心の町プエルト・アヨラに行くことにする。

空港はプエルト・アヨラがあるサンタクルス島とは別の島にある。小さな港まで航空会社が無料のバスを走らせていて、そこからはボートでサンタクルス島へ渡る。

サンタクルス島の船着場からプエルト・アヨラまでは42㎞もある。サンタクルス島がこんなにも大きい島だとは意外だった。

プエルト・アヨラに到着。バスで一緒だった西洋人たちはホテルへ向かったが、自分はツアー代理店をまわる。1軒目で5泊のクルーズと2泊のイザベラ島ツアーを組み合わせて600ドルというのを提示される。少しまけてもらおうとするが、全然ダメでそこを出る。次のところで明日出発の1泊65ドルの船を紹介される。これも全然まけてくれない。仕方なくそれに決めて、スタッフが船に電話するとなんと一杯、とのこと。それで1泊70ドルの別の船を紹介された。これは今日の午後、つまり今すぐに出発、とのことだった。7泊490ドルで結局それする。

金を払って、スタッフが呼んでくれたタクシーに飛び乗る。乗船場所はさっきの船着場なので今来たばかりの42kmをとんぼ返り。(無計画で行くとこういうことになる(笑)。)

タクシーを降りて(タクシー代は不要だった)、そこのスタッフからシュノーケリングのセットを受け取り(レンタル代金10ドル)、ボートに乗る。そのボートでどこかの港に行くのかと思ったら、なんとクルーズ船が沖合に停まっていて、そこでそのボートから乗り換えた。

「クルーズ船」と呼ぶにはあまりにも小さすぎる船だった。まあ、安いツアーしか探していないから、これは仕方ない。また、小さい船の方が魚により近づくことができるというメリットもある。

ちなみに、港でなく沖合で乗り換えた理由は、要するに船はすでにクルーズに出発していたのだが、急に客が1人増えたから慌てて沖で停泊し、そいつを収容した、ということらしかった。その意味では他の客を待たせてしまったことになる。

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船はすぐに出発。まず簡単な昼食が出た。食べ終えて2階デッキに行くと乗客が皆そこにいたが、なんとその中に飛行機で一緒だったアメリカ人のアダムもいた。再会を喜び合う。彼はクルーズスタッフとの直接交渉で5泊350ドルだったとのこと。これは後で知ったのだが、私の7泊ツアーは5泊と2泊の2つから成り立っているものだった。

アダム以外の客は、5人のイスラエル人たちと、部屋が相部屋だったオランダ人のマーティンだった。イスラエル人グループ(カップル2組と男)はキトで事前にツアーの申し込みをしていたが、1人550ドル払ったそうなのでやはり現地で探したほうが安上がりではあった。

ガイドはヴィクトルという名前のおっさんだった。彼の英語は非常に分かりにくかった。(イスラエル人たちはかなり文句を言っていた。)しかし現地のガイドなんて皆そんなもんだろうと思っていたら、そうではないことが後で判明する。

1日目はどっかの島に上陸し、散歩した。野生のイグアナを間近に見たときはやはり、「おっ」となった。その後どこかの浜でスノーケリングをする。

実はスノーケリングは人生初体験だった。(そのことを皆に言ったら、「初めてのスノーケリングがガラパゴスってすごいな、と言われた。確かに(笑)。)

レンタルしたゴーグルがきつくて無理やりはめようとしたらバンドがちぎれてしまったり、それ以外にもあちこち修理跡があり、かなりのお古を掴まされたみたいだった。幸い、ヴィクトルはガイドとしては正直失格だったが、とても器用だったので、直してくれてなんとか使えるようになった。

このときは魚も見えなかったので、早めに切り上げる。

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船の食事は、朝食がトースト、ジュース、果物(パイナップルとかメロンとか)、卵料理(オムレツなど)、コーヒーか紅茶。昼食と夕食はスープとメイン料理からなる典型的なエクアドル料理で、メインは魚だったり鶏肉だったり。更に2日目からはイスラエル人たちのリクエストによりクッキーなどのおやつも出るようになった。(イスラエル人の女の子は、昼食から夕食まで何も出てこないのは信じられない!と言っていた。)

食事は自分は満足だった。ただ、イスラエル人達は皆よく残す。残すなら例えばよく食べる自分とかアダムにくれればいいのに、それをしないで食べ残しをゴミ箱に捨ててしまう。

出された料理を食べ残すことなんて絶対にしない(幸い、それだけ大容量の胃袋を持ち合わせている(笑))自分からすると、食べきれないのならちゃんと事前に食べきれない分を他の人に提供するのがスマートだと思う。それが料理をしてくれた人だけでなく、大げさに言うと地球や自然に対しての礼儀なんじゃないか、と思う。

アダムも多分それを見かねたのだろう。彼らにリクエストして残りをもらっていたので、自分も同じことをした結果、最終的には彼らも気づいてくれたらしく、事前に分けてくれるようになった。

船はいくつかの島を回って土曜の夜にガラパゴスで一番大きな町プエルト・アヨラに入港した。その間、陸イグアナ、海イグアナ、アシカ、鮮やかな青い足を持つアオアシカツオドリ、ペリカン、フラミンゴ、ペンギン、などなどガラパゴス特有の様々な動物を見ることができた。アシカの目がとっても可愛い。全く人間を恐れないのもいい。

しかしハイライトはスノーケリング。美しい多種多様な魚たち、ウミガメ、サメ、マンタなどを見ることができた。中でも楽しいのはアシカで、海の中で一緒に泳いで彼らに触れることもできた。

スノーケリングってこんなにも楽しいものだったんだ。今までやってこなかったことを後悔する。

ちなみにアダムはダイビングのライセンスを持っていて、当初はダイビングもやる予定だったらしいが、「スノーケリングがあまりにも楽しいのでわざわざダイビングをする必要ない」と言って結局ダイビングはやらずじまいだった。

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プエルト・アヨラでは皆でバーに繰り出す。2軒目にハシゴしたときにはイスラエルの女性陣たちとオランダ人のマーティンは船に戻り、男5人だけになった。隣のテーブルに座っていた女の子3人組がウェイターを通じて、「一緒になりたい」と言ってきたのでもちろんOKする。

3人は27歳、23歳、17歳。それぞれ可愛いけど顔を作りすぎていて、
なんかマイケルジャクソンを連想してしまった。

他の人たちはビリヤードをやりに行ってしまい(ちなみに、英語ではビリヤードと言わずにプールと言う)、ふと気づいたらテーブルには17歳の女の子と自分だけになっていた。

彼女はスペイン語オンリーなので会話が成り立たない。仕方なくサルサダンスに誘ったら来てくれた。ダンスなんて人生全くやったことないけれど、実はガラパゴスに来る直前、サルサダンスを習うために南米に来ていたN君に「サルサにおいて素人でも簡単にできてそこそこ見栄えのする回転方法」を教えてもらっていたのである。

教えてもらったときは、内心「こんなの絶対使わないだろうな」と思っていたのだが、思いがけず役に立った。何事もとりあえず学んでおけばどこかで役に立つものだ。

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船に戻ったのは朝の3時くらいだっただろうか。次の日はプエルト・アヨラのあるサンタクルス島の観光である。

しかし、朝起きたらガイドのヴィクトルがいなくなっていた。


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