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自分を愛するほどにしか他者は愛せない/日本メンタルヘルス協会で学んだこと〜メンタルトレーナー養成講座 前編

自分自身がメンタルのことを学ぼうと思ったのは、2006年のこと。
自分自身が希望した部署に行くはずだったのに、直前で合併した支社の教育をするようにと事実上左遷のようなことになった。
数日間、なぜ私だけ?と泣いた。
絶望というものはこういうことかと思った。

「この席に座りますよ」と、私の名前の入った席まであったと、その当時の上司は言った。内示まで出てた。なのになぜ?

成果さえ出せば、希望部署に行かせてくれる半年で呼び戻すと言われて、頑張った。
その時は、全社的な改革の最中で、さまざまな変化の波に翻弄されていた頃だった。
社内のコミュニケーションを取るために「ありがとうキャンペーン」をやってマインドをお客さまや店頭で働く人たち、さまざまに関わる人たちへの感謝で埋め尽くしたり、教育も本当に必要か?と、体系自体も変えていった。
それまでのトップダウンの教育から、ボトムアップへ。それぞれトレーナーたちが自分の強みを活かして活躍する姿は素晴らしかった。
そんな中で、絶対無理と言われるようなことで全国1位になったり、成果を出していった。数字を出さないと成果にはならない。結果をどう出すか、も含めて何ができたらいいんだろう、と日々模索していた。

そして、待った。

人事異動を待った。
その季節が2つ来て1年が経って、あの約束は嘘だったのかと思った。
ただ待つのではなく、さまざまな人たちにも話した。相談にも乗ってもらった。自分ができるあらゆることをやった。
でも、ダメだった。
2度目の絶望は、あきらめに変わった。

もうダメだ。こんな気持ちで仕事は続けられない、とあきらめて、その頃始まったばかりの「女性起業塾」(トレンダーズ)に行くことにした。
学んだ内容よりも、そこに来る人たちのエネルギーやキラキラした強さに刺激を受けた。
新しい世界、SNSもmixi全盛期の頃、女性だけのSNS.オンリー1BEを活用しながらたくさんの魅力的な女性たちと繋がっていった。

その頃、直感的にビジネス系のことだけ学んでいったらバランスが悪くなると思ったのと、自分自身のメンタルが弱すぎると思って「日本メンタルヘルス協会」で心理学を学ぶことにした。

その後も、ビジネススクールなど通う時には、東洋哲学もセットで学ぶなど、偏らないように両方学ぶというのは、自分の性格にはとてもあってたと思う。

日本メンタルヘルス協会は、吉本風と言われるぐらいに先生たちの話がおもしろくて、笑えて、泣けて、グッと心に刺さった。

毎回、自分のおこがましさにほとほと呆れた。そして、ありがたいなぁ、という気持ちでいっぱいになった。
生かされてる感謝を感じながら自由が丘から帰ってくる道は、真っ暗な夜空と胸の中の温かさでいっぱいだった。

基礎コースから、研究コースまで進み、卒業式が娘の出産と重なり、あえなく修了書をもらうことが出来なかったのは悔やまれるけど、いただいたことはずーっと私を支えた。

気性が激しく、アップダウンを自分でコントロール出来ないから、組織の中でよく働いてきたと思うけど、あの時メンタルに行ってなかったら今の自分はなかった、と思う。

ロジャースのおひさまカウンセリング
Iメッセージ
ABC理論
森田療法
心理テスト
いろんなことを、学んだけどそれは全て実践的で明日から使えるものだった。

「I love you.Because you are you」
なんでもないあなたでいいんだよ。ただ、あなただから愛してるんだ、という言葉は、ボロボロ泣いた。

役に立たないと価値がない、と成果を出さないと価値がないと認めてもらえないと思ってたから。

自分のメンタルの弱さをなんとかしたいと思ってた私が、たくさんの愛で生かされていたことを知った時、私の世界はガラッと変わって見えた。

私が私を愛すること。
I love me.Because I am I.
自己肯定感という言葉を初めて知って
それこそが全ての最初だと思った。

自分を愛するほどにしか、他人を愛することは出来ない。目の前に起こる嫌なことは、自分の嫌いなところを他者に投影してるだけ。

それからも、年に何回かは再受講をしてきた。
「ここで終わったと思うなよ」と言ってくれた林先生の言葉が耳に残る。
日々実践すること、そして、自分が変わっていくから、その時にはわからなかったことがわかるし、気づけなかったことの意味に気づくから。

何度も「禅」と「トランスパーソナル」は受けたなぁ、、、、

そんなこんなで、昨日はメンタルトレーナー養成講座を受けたということを書こうと思ったのに前段が長くなってしまった、、、

後編へと続きます

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