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【意識と無意識の間で書くこと 田口ランディさんのクリエイティブライティングで学んだことなどつれづれ】

明け方の3時ごろに目が覚めるのは、お年頃だからかわからないけど、パチンと目が覚める。
夢を見て目が覚めるからノンレム睡眠の浅い眠りからそのまま覚醒しちゃうパターン。
で、前はSNSとか見て眠くならないなーと思いながら朝まで起きちゃうことが多かった。8時半から仕事だったので冬は暗い時間にメイクして、7時前には家を出ていた。背中に朝日があたたかかったなぁ。
日常的に睡眠不足で、仕事していた頃。

最近、そんな時にnoteを書くことを思いついた。
するとスルスル書ける。
書いたらすっきりしてまた眠ることが出来る。

稲葉さんの「いのちの目覚めるとき」を読んで、意識と無意識の間にあるところにイメージの層があって、そこにアクセスすることでクリエイティブなものが表現できると書いてあって、ああそうか、と思う。
眠りと目覚めの間だから、理性でおさえることなく書けるのかもなぁ。

そういえば、田口ランディさんのクリエイティブライティングで、文章を書くことを学んだ時も、ドリーミングボディになって書くことを言われた。

それは、目を開けたまま記憶にアクセスしてありありと目で見えるようにビジュアライゼーションして書くということ。
目を開けたまま夢を見てるような感覚。ドリーミングボディになって、見てるものをそのまま「かく」
意識の下、無意識に放り込んだものを魚釣りのように吊り上げていくプロセス

見てるものを書くことで(記憶だから実際に見てるわけじゃない)読み手の五感が動き出す。情報をフォルダで渡す感覚と言ったらいいのだろうか。

自分で軽い瞑想状態になって、意識の下にある記憶にアクセスしてそこから掬いあげて、見てるものを書く。
感情や想いを書くのではなくて、見たままを書くこと。

20分という区切られた時間で、一気に書いてみると自分ではどこが面白いのかわからないものが書ける。オチはいらない。一気に書く。でも、人のを読むとすごくその人らしくて心動かされる。
一気に書くことで、自分の中の批判精神やパトロールが出る暇もないから、書き切るためにもいいんだろう。

私の書いた文章を読んで、ランディさんは「ミディアムだね」と言った。
霊媒体質というやつだ。
「それがあってよかったこともあったけど、苦しいこともあったでしょ。それを、書きなさい」と言われる。

ぎゃ!と思う。まさかそんなことを書くことになると思わなかった。

一緒に働いていた上司、ボス、トレーナーが次々と亡くなった。
子宮頸がんで闘病した後亡くなった上司、ある朝突然死をしたボス、前日まで一緒にいたのにくも膜下で倒れて2年後に亡くなったトレーナー。
亡くなった後、枕元に立たれて「あとはよろしくね」と言われたりしたんだ。

「こういう教育をしたい」とか「最後はみんなでゴール」とか、本人たちが語っていた夢を私は知っていた。
その人たちの生きたかった未来に自分は生きているのだから、その想いを受け継ぎ叶えないとならない、と思った。
3人分の人生を背負って生きた。
だから、精神的にも肉体的にも追い込まれたとしても、立ち上がれた。

次々と、組織を変えていくことや、新しい教育を提案していくこと、人をあきらめないことをすることが出来たのは、その腹力があったからだ。普通じゃ逃げたくなることでも、対立の炎の中に立ち、自ら火だるまになることも引き受けながら、それでもやるのか、と自分に問いながら、、、立ち上がりやり遂げたのは、その人たちの生きたかった未来に生きる私の役目だと思ってたから。

泣きながら20分で書き上げた。

泣きながら自分の声で読んだ。
一緒に泣いてくれる人がたくさんいた。
報われた。
「いのち、輝きますように」 
祈りをこめてしめくくった言葉にすべてがつまっていた。

ランディさんから、もういいんだよ、と言われた。あなたはあなたの人生を生きていい。
中途半端に人のために生きるというより、植物を育てなさい。
ちゃんと手をかけた分、応えてくれるから。
そんなことを言われた。

その頃、精神的に追い詰められていて半年前から心療内科に通っていた。
睡眠薬を飲んだり安定剤を飲んだりしながら、医者からは診断書をいつでも書くから休みなさいと言われてた頃。

2020年の1月、自分で書いた文章でようやく自分はその呪縛から逃れた。
自分の人生を生きていいんだ、とすっきりとして、翌月診断書を会社に提出した。
それから、ジャングルのようにたくさんの植物を育てて、大きな樹に会いにいったり、
祈りの旅に出るようになった。
久高島、吉野、熊野、金沢、伊勢、出雲、阿蘇、高千穂、屋久島、徳島、西表島、壱岐、隠岐、たくさんの場所で祈った。

祈りというものも、自分の意識をこえていくものなんだろう。

明け方にパチっと目が覚めて、文章を書く時
「こんな時間に目が覚めちゃったよ」と焦っていた感覚から
「ドリーミングボディで書こう」と、ポジティブでいられる感覚になったらなんてすっきりするんだろう、と思う。

そんなこんなで、今日も書くことからスタートする。

目が覚めた時、目に飛び込む景色がとても好きだ。

左は友人の亡くなったお母さまの書いた花 上から点描画、ハワイの人魚のオヒレの絵、右下はランディさんの友人のアーティストのコラージュ 右奥は友人のお母さまの絵

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