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こんにちは!
光秀マインド足立聖忠です!

昨日は倫理法人会で青年会議所の仲間の講話がありました。なんとか起きれたので参加することができました。
講話の内容は現社長の父様と自分との関係や、子どもの頃のお父様との関係などのことを話されていました。そこにお父様ご本人も参加されていましたが(笑)

そんな話を聞きながら子どものころに父から受けた影響は確かに今の自分に大きく影響していると感じたので今日の記事は私の父とのエピソードを書きたいと思います。

私の両親は当初サラリーマン家庭で、コンピューターなどの電子機器に関する営業職をしていました。大分してから知りましたが昔高校卒業して最初の就職先は自動車ディーラーの営業マンで、その後違うメーカーの営業マンだったそうです。父いわく新卒一年目は京都府内で2位の成績だったとか。

父は言葉数が少なく、普段の声も小さく何しゃべってるかわからない時もあります。それでも人当たり(外面)は良いほうだと思います。それでも自動車営業時代はかなり攻めた営業の思い出話をしてくるので行動力は凄かったのだと思います。

子どものころに怒られた記憶が数回しかありません。その理由もバイクで二人乗りしていたとか他人のことで責任が取れないような年齢で無責任なことをした場合だけだった気がします。私はお父さん子でした。

1月くらいの記事にも書きましたが私が小学校4年生の時に不登校になった時から父の仕事も、家庭の環境も大きく変わりました。

その仕事環境が変わり、ほとんどの時間を父と過ごすこととなります。自宅にいても祖母や母に色々言われるので、大阪や遠征の仕事にもついていいていました。大阪のまち中で車の中で5時間とか待っていたことも良くあります。
ある意味色々なところに連れて行ってもらっていました。

今は70歳になりましたが、自由奔放にすごしています。昔の名残か、私が車屋さんになったせいなのか色々な車が気になるようです。今は私が用意したフェアレディZで四国にドライブ行ったり関東の方まで出かけたりしているようです(行動量が異常w)

そんな静かそうに見えて異常に行動するのは父譲りかと感じた今日の講話でした(笑)うちの子はどんなことを感じどんな大人になるのか楽しみです。

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