外食するのは、お腹ではなく心を満たすため。

僕はもともと、あまり外食を好む方じゃない。そこそこ自炊も得意だし、小さい頃は「今日は外で食べよう」という母ちゃんに「やだ!家で食べたい!」とよく駄々をこねていた覚えがある。

しかし最近は定期的に外食をするようになった。どうして?
多分それは、このコロナが影響している。

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"人間らしい暮らし"ってなんだろう?

フリーランスのWebライターである僕は、全てのお仕事が自宅で完結する。クライアントさんとのやりとりはすべてChatworkかLINEでのメッセージ。だから、一言も言葉を発しないで一日を終えることだってできてしまう。

確かに自宅で仕事ができるのはとても快適。好きなものを好きなタイミングで食べれるし、飲めるし、なんなら昼寝することだってできる。しかも、住んでいるのはシェアハウスなので、気晴らしに誰かと会話することだってできる。

でも、そんな生活を数日もやってみれば、これって人間らしい暮らしじゃないなぁ、って感じてしまう。同じ人としか合わず、同じようなことばかりを繰り返す毎日。それってすごく機械的で、とてつもなく孤独なもの。

通勤時間などの無駄が一切なくて、とても効率的。それは裏を返せば、なんの偶然も発生しないということ。自分でアクションしていかないと、どんどん生活が固定化されてしまう。だから僕は、人間らしい暮らしを取り戻すため、ちょっとした一期一会を楽しむために、街へ繰り出して外食をするのだ

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僕は好んで、自宅からほど近くの個人店を選ぶ。理由はいくつかあるけど、簡単に言えば個人店が好きだから。この前の記事でも書いたけど、いま個人の飲食店はどう考えても大変なはず。どこに行っても、お客さんの数は少ない。

だから僕は、お店の人とのちょっとした会話を楽しむために、食事をしにいく。今日は、綺麗なシルバーヘアーがよく似合った、優しく可愛らしいおばあちゃんが切り盛りする洋食&喫茶のお店へお邪魔してきた。

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「普段はこの辺は外国の方がいっぱいいるんだけどねぇ。この辺は洋食屋さんがないから、ここはいつもフランスやアメリカの方がいっぱい来るのよ。」
「そうなんですね。いま伏見稲荷に行っても、全然人いないですもんね......。」
「本当よねぇ。わたしは持ち家でやってるからいいけど、テナントのお店は大変よねぇ。」

言葉一つ一つから優しさが滲み出るような、おばあちゃんの喋り方。つい実家にいるような気分になる。お店も、お客さんの席こそ片付いているけど、レジカウンターやキッチンはちょっとごちゃっとしていて、そこもまた実家みたい。

「ハンバーグも美味しいから、また来てね」
「ぜひ、また来ます!」

素敵なお店だった。今度はハンバーグを食べにいこう。

外食するのは、お腹ではなく心を満たすため。

外食をするのは、お腹を満たすためじゃない。心を満たすためなんだ。そもそも、お腹を満たしたいだけならインスタント麺でも食べれば良い。もし栄養が気になるなら、外食するより自分で料理した方が安くてヘルシーなものを食べることができる。

それでも外食をするのは、心を満たすためだ。誰かに作ってもらったものを食べ、ちょっとした会話を楽しみ、ごちそうさまでしたってお金を払う。街の個人店はキャッシュレスじゃなくて現金のお店が多い。現金のやりとりもまた、なんとなく良かったりする。

「おいしかったです!また来ますね。」って店を出る頃には、入る前よりちょっとゴキゲンになっている。自分の気分をよくするためにやっていることが、回り回って誰かのゴキゲンを作れたらいいなって思う。

さあ、今日もゴキゲンでいこう

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(このようなことに気づけたのは、ある意味コロナのおかげでもあったと思う。コロナに気づかせてもらったことは、僕だけじゃなくたくさんの人が、それぞれに持っているはず。そしてこれはきっと、とても大事なこと。

コロナは早く収束して欲しいと心から願う。だけどそれと同時に、いま感じていることはコロナが収束した後も忘れないでいたいし、忘れないでいて欲しいな、と願う。)

― 2021.01.26. 充紀


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