カメラを止めないで

 映画を撮りたいと思ったのは19歳のころ。でも何から手をつければ良いのか分からず、大学の掲示板にあった貼り紙を頼りに映像研究同好会に入会した。
「好きな映画は?」
「ゴーストワールド」
「知らないなあ」
「……」
「映画を志したのはどうして?」
「映画の世界に憧れたから」
 ぼくの答えに彼女は沈黙で返す。突き返されるかと思ったけれど、「いいね、素敵」と笑われて終わった。やたら匂いのきつい煙草が印象的な人。彼女と出逢ったのはそれが最初だった。

 映像研究とは謳いつつも、実際は映像すらまともに撮らない名ばかりの同好会で、会員は彼女とぼくの二人きりだった。
「一応カメラはあるの、安いビデオカメラだけど」
 そう言って埃の被ったカメラをぼくに向ける。
「そうだ、試しにわたしを映してよ」
 言われるがまま、ぼくはビデオカメラで彼女を画角に収める。彼女の姿をありきたりに切り取ったところで、そんな世界に一体どんな意味があるというのだろう。
「意味なんてないわ。すべての物事に初めからそんなもの存在しない。自分で見つけるものよ」
 カメラ越しに彼女の横顔が薄い笑みを浮かべる。それ以上なにも言わず、煙草の煙を不敵にくゆらすだけだった。そんな彼女の姿を、窓辺に差し込む白い光が恍惚と浮かび上がらせている。その風景に、いつしかぼくは意味を求めてしまっていた。

 彼女を切り取る行為は、ぼくらにとって砂場で城を築く遊びとなんら変わらない、そう思っていた。
 授業中も食事中も読書中も徘徊中も旅行中もセックス中も、ぼくは彼女を映像に収めた。彼女はそれを望んでいたし、ぼくもその望みを叶えたかった。
 でも、彼女が消えた日、なぜかぼくはカメラを回していた。
 その画角に彼女はもういない。そう理解しながらも、ただカメラを回し続けていた。
 埃の舞う部室、白い光を囲う窓辺、リノリウムの床に積もった吸殻の山。
「意味のない世界なんてない」
 彼女の消えた世界で、ぼくは飽きもせず意味を探している。
 それはまるで、映画の世界のようだった。

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