The Athleticのヘンダーソンの独占取材を読んで

冷ややかな視線や批判を集めて然るべきインタビューだったと思います。

読み終えた今、、、強いて表せば、失望が7割、同情が2割、尊重1割という具合ですが、複雑な思いです。

リバプールのアームバンドの魔力

クロップとの会話で出場機会が限定的であると悟り、他にもクラブが自分を必要としていると感じられなかった、EUROも目指したいから移籍を決断したといった下りは、ヘンドがキャプテンを巻き始めたとき、散々批判にさらされ人知れず第2のどん底にいたというキャプテン1年目の彼を支えてくれたこれまでとの落差に悲しみもあったのかな、と少し同情を抱きました。

また、移籍するにしてもリバプールと対戦することへの難しさを感じるだとかの言葉、今夏のコンディションによる自信など、彼は残りたかったけれど、そうはなれなかった哀愁に占められて、読んでいて正直辛かったです。

ただ、行先がサウジであることを問われて以後の弁解のような言葉の数々から漂う自己弁護に比べれば、そんなことは些細なものだと思うくらい、それ以後は比にならない苦しさでした。

LGBTQ+をサポートしていたかつての自分の姿に対しての矛盾について、西洋世界で報じられていることと実際のサウジは違うだとか、以前の自分を見て批判する気持ちはわかるだとかなんていうのはまだマシで、カタールで目にしたものに関する下りなんて最悪そのもの。

クソみたいな言い分で自己弁護をし、最終的に自分は一人の人間である、と。

まさかあのジョーダン・ヘンダーソンがこの文脈でこれを言うか、と、ちょっと衝撃で未だに自分の中でこの部分は消化できていません。

結果論だけれど、このインタビューで、やっぱりヘンダーソンは軽い気持ちでマイノリティに支持表明したんだなと印象付けられてしまいました。

また、いままでのあの姿に彼自身の意志がまったくないとは思わないけれど、リバプールのキャプテンという立場が彼をああいった言動に導いたのかもと、役職がもたらす魔法について考えてしまいました。

アームバンドに宿る責任に込められた、リバプールというクラブを代表すること、すなわちコミュニティの代弁も果たすという使命感が彼を突き動かしたように思え、少なくとも当時はそれは成すことを求められていたのだから彼は正しいことをしたのは間違いないと思います。

だけど、その魔法が解けると、彼自身にはそこまでの一貫性がなかったというのが明らかになったような残念さを抱くなというほうが難しい。人間らしさもあれど、あまりに残酷すぎます。

お気持ち表明の先を目指したい

多くのサッカーメディアがこのインタビューを引用、抜粋して、彼のサウジ移籍の決断理由という切り口で語っているけれど、後編のほとんどは、彼がこれまで支えてきたコミュニティに対する現在の彼の矛盾について追及するパートです。

このパートが取り上げられることなく、年俸の話ばかりが独り歩きするのはこのインタビューの価値を損ねていると言いたいです。

また、サッカー界の反応も、正直気に入りません。

彼の無責任さへの批判が中心で、彼らの願いをどうにかしようなど大半は気にも留めていないことが明白で、理想論だけれども世界をどうそれに近づけていくかといった議論はそっちのけ、彼がいかに愚かでクソしょうもない言い訳を並べるような人間かという個人攻撃に終始してエンタメ化している様が何よりもグロテスクだし、行動もしてないそれ以前の皆様はどの立場からものを言ってるの?と正直に思います。

何よりも、時間をおいて更新された、記者たちによる彼のインタビューの回顧と議論はインタビューと同じかそれ以上に一読に値するものだと思いますし、これができるThe Athleticはさすがにサブスクで読む価値があると率直に感じました。

余談ですが、僕はデビット・オーンスタイン記者のVvDのけがに対して専門家でもないのに適当な離脱期間を述べた姿から彼を毛嫌いし、信用を置けなかったのですが、今回の取材を読んで、彼を見直しました。

この回顧では、インタビューに加え、イングランド代表のLGBTQ+サポーター団体の共同議長を務めるJoe White氏がヘンダーソンのインタビューでの言及の何に怒りや失望を抱いているのか、強い憤りとともに本心を語っており、この思いこそ多くの人の目にとまるべきものであると感じます。

皮肉にもヘンダーソンをいけにえにそれを発信する機会を得ているのだから、ある意味で(おそらく最後であろう)仕事を果たしたとも思います。

彼を批判するだけ、腐すだけならだれにでもできる。

多くのサッカー関係者が彼に否定的ですが、彼らの中で、果たしてどれだけが今週の代表マッチウィークで、EURO予選にてOnelove腕章を身に着けることも絡めてこの出来事に言及できるでしょうか。

White氏は記事中で、この数年、簡単に支援を口にして結局何もしないのでこの種の連帯には嫌悪を抱いてきた、といった言及をしており、これはヘンダーソンの振る舞いだけでなく、サッカー界、今の世界に対する彼の、または彼と同じ属性を持つ人々の見方や本心なのかもしれません。

彼らの怒りの根幹はヘンダーソンの行為と同じく、変わらない物事への憤り、反応を示すだけで、次の日には、サラーへ250milのオファーが届いたら売るべきか否かに興じているであろう僕らの表面上の支援、流行ごとを消化しているかのようなしぐさへの怒りも多く含まれているのでしょう。

マイノリティについてもっと知るべきだとつくづく思い、何より知った気にならないようにいたいと記事を読み終えた今は感じています。

彼を批判する、無様な言い訳の数々を笑うだけなら、世間への波及力のないSNSで嘯くだけの存在はクソ以下で、君たちはどう生きるか、というキャッチーな問いを投げかけられている気分です。

ヘンダーソンへの失望と怒り、それを示すだけなら結局同類だな、そんな自戒も抱く回顧記事、しばらく反芻して、まだ霧中にある自分の考えをもう少し具体的にできたらと思います。

<了>




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?