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ミツメカク 第2回活動記

こんにちは、ミツメカク制作メンバーのアオイです。

11月は月の前半(12日〜14日)と後半(25日〜28日)に分け、二度の訪問を行いました。

そのうち前半は、りょう不在により私が中心に活動していましたので、今回はその報告を行います。

第一回では、実制作に入る前の、初めて自分たちが訪問した時の1番の重要な記録をリョウが綴ってくれています!

今回も、よそものである私たちの在り方、そして長万部と、そこにある人、モノ、場所の在り方を模索していく様子を少しだけでもお伝えできればと思います!

さて、本編に参りましょう!

11/12〜14 滞在記録

シャッターを閉める

今回、まず初めに手をつけるのは、かとう書店のシャッター。

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シャッターが閉められたかとう書店

このかとう書店も並んでいる書店街のストリートのシャッターを閉める。この町にとって、シャッターが閉まることは閉店を意味する。この町に初めて訪問した際に、既に目につくくらいにはシャッターは閉まっていて、全盛期よりも活気が失われていることは余所者である自分でも感じ取れることであった。

コンパクトな町である故、静かに、でも確かにここに住む人々は町並みの変化に敏感であるようだ。シャッターが閉まること、それによって外観も町の活気もどこか物寂しくなることを感じるのだろうか。

そう思いながら、シャッターを下ろしていた。

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長万部のストリート街



けれども、今回ミツメカクである我々の場合、

シャッターを閉めることが筆を奮う始まりとなる。

通りすがる人々の目は、

シャッターを閉めている。けれどもいつもの閉店の様子とはまた異なるようで、何やら何かが始まるのか。

という目を確かに感じるのだった。
それは、期待とも冷やかしの目とも違う、ただその事実を見ているようにも見えた。

私やリョウは普段学業があるために、長万部の訪問にも限りがある。その間シャッターは閉まっている。けれども、シャッターに描かれる絵の変化を見ながら、少しずつシャッターそのものの見方も変わっていくのだろうか。

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シャッターを下ろし、ホコリや汚れを落とすためのシャッターの掃除だ。

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手伝ってくれた友人ら

今回、函館と小樽からも友人を招いての訪問だ。このかとう書店は、ミツメカクの我々としては壁画を描くけれども、並行してかとう書店の内装の工事を仲間と行っている。意識としては、壁画を描くことで一緒にかとう書店を作っていくという印象だ。協力隊のりかさんをはじめ、大人から子どもまでの町民、そして今回のように大学生とも一緒に作っている。

赤塚さん

第一回でも登場したが、赤塚さんはこの町の総合商社と言われている。この時代において珍しく家族経営で会社を回しているらしく、本当に顔が広い。請け負っているのは印刷、ペイント、イベント企画と多岐にわたる。

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赤塚さん


今回の顔出しで私は2度目の訪問になる。材料の調達や壁画に関して話を聞く時は毎回出迎えてくれるのは、長男の赤塚さんだ。

初めての訪問時、初めは赤塚さんと我々との間に壁があるように感じた。これはまあ当然なことなのだが、何者かわからない余所者が訪ねてきて、初めは皆

本当に描ききれるのか?かとう書店では何をやってるんだ?

我々も初めは勇気を持って、赤塚さんとお話しする必要があった。

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赤塚さんの姿勢は当然なことであり、それも一町民として必要な姿勢だと私は思う。

名も身分も知らない余所者が勝手に町に壁画を描く。全ての土地が壁画のようなアートを受け入れる土壌が必ずしも存在するとは限らない。変化が見えやすく気付きやすいこの長万部には、特に繊細になる必要がある。そしてその責任も自分たちは考える必要がある。

そう再認識したのだ。応援してもらうには、次第に顔を出す必要がある。さらに、今後ともお世話になるから赤塚さんに限らず当然なことである。少しずつ、関係性を構築して行けたらいいな。そんなことを思いながら第一回の訪問は幕を閉じた。

2回目の訪問時、私は、赤塚さんにペンキや筆やチョークなどの材料を調達しに出かけた。少しずつ顔を出して、挨拶をする。

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なんだかんだ世話をやいてくれる赤塚さん

「なんだ、また来たのか。もう描いてるのか?かとう書店では今何してんだ。」

毎度、相変わらずクールな赤塚さんだが、徐々に心を開いてくれるのがわかる。というのも、実は、第一回訪問後に赤塚さんが、

「長万部で若い人が頑張ってくれてる。」「若者がやりたいことに色んな足枷があって、なんとかならねぇか。」

と陰ながら、応援してくれていたのをりかさんから耳にしていたのだ。


そして私が夕方まで作業をしていた頃には、わざわざ仕事を終えた赤坂さんが車から降りて私の元へ尋ねにきてくれたのだ。どうやら、気にかけてくれたらしい。私の作業を見て、ちゃんとできていることに安堵している様子であった。他にも、近隣住民や車に乗っている方々から声をかけてもらうことが多く、シャッターで描いてはじめて長万部の人との関係というものを実感した訪問だった。

赤塚さんの後ろ姿

妥協しないこと

ここからは、制作手である自分の想いや考えを述べていく。

先ほども述べたが我々は、1ヶ月のうちの数日間しか訪れることができない。今回のシャッターの掃除や下地を塗ることは、毎日滞在しているリカさんに頼むことも可能だ。
けれども、制作においては全て自分たちでやりきる、作り上げるという意識を大切にしたい。これは、りかさん等と話し合って再認識したことだ。

そして、その作業する過程をみて、町民の方々との関係性を作れるよう努力していく予定だ。
これはりょうが壁画制作に当たって大事にしていることらしいのだが、

100年後も残す気持ちで壁画を作る。

ということ。これは、そのくらいの意思と気持ちで作るという覚悟の比喩なのかもしれない。私は筆ひとつひとつに実直に挑む必要があると、ひしひしと感じる。今月で、ひとまずシャッターを仕上げたい。
そのために相棒のりょうと今後とも議論し、いい作品を作っていきたい。

アオイ


今後とも、密かに見守っていて下さいね!

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