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家族サービスではないよ

工業化社会に家父長的な社会の中で培われた言葉の中に「家族サービス」という言葉がありますが、これはまるで家族をオペレーションの対象とみなし、自分を労働資源ととらえて振る舞うようなイメージをもたせる、もはや過去の言葉になりつつある言葉です。

とはいえ、私が小学生の時には割とよく使われていた言葉だと思います。「休日は接待のゴルフがなければ、家族サービスします。」みたいな感じです。今の後期高齢者あたりの人には、違和感のない言葉でしょう。

積極的な育児参加など、もはや男女の区別をなくしましょうという風潮の昨今、このような言葉を発しようものなら一発で家族崩壊の危機です。
また、過去のように本当に食べるために困って働いているという人は少なくなっているのではないでしょうか。

自分達の子ども達が小さい時の時間というのは不可逆なもので、それぞれの人生の2度とない組み合わせの中で時間を過ごしています。

その時間をかみしめて、目の前で起きる出来事に感謝や畏怖の思いをつのる。
そんな態度で、時間を過ごし始めた人は多いと思います。

私はそんな状態のことを家族サティと呼びます。

サティとはマインドフルネスのソースとなる仏教の概念ですが、マインドフルネスと呼ばれること以上の効能を含みます。
基本概念は、目の前のことを慈しむことなのですが、西洋的分析による形式化によりマインドフルネスは、サティの全てを含んではいないそうです。

目の前の人と過ごす時間、目の前でおきる出来事に集中できるマインドセット、どうかこういったことを大事にしてください。

マインドフルネスは、東洋文化のよい側面を再発見してくれました。しかし、禅に近い場所にいる日本人は、その効能を最大限見出していないようにも思えます。

そんな日本からサティの価値がもっと発信されていくとよいなと思います。

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