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海を眺めていた

 先日、文芸思潮89号が発売された。そこで第18回文芸思潮エッセイ賞が発表されている。有難いことに私の作品は奨励賞をいただいた。
 当誌でも掲載していただく予定だが、著作権の問題はなさそうなので、noteでも公開したいと思う。多くの方に読んでいただけたら嬉しい。


「海を眺めていた」


 夏がやってきた。うだるような暑さ。蝉が騒がしい。その声に耳を澄ましていると、瞼の裏に海の景色が映る。この現象は毎年のことである。それは十六年前の房総半島、ある女性が隣にいたときの記憶である。

 プロのミュージシャンを目指していた二十歳の頃、頻繁に池袋駅の前で路上ライブを行っていた。もう辞めようかと思っていたとき、一人の女性が足を止めて熱心に聴いてくれた。それが彼女との初めての出会いである。

 十八歳の彼女は千葉から上京し、バスガイドの仕事をしていた。その傍ら、音楽活動をやりたくて、入り口を探していたようだ。私がホームページで路上ライブの告知をすれば、いつも彼女は駆け付けてくれた。次第に彼女も私のギターを伴奏にして歌うようになり、共同で音楽イベントを開催するまでに至った。このように音楽を通じて深まった仲は、恋愛関係にまで発展した。

 彼女には私の知らない暗闇の世界があった。父からの虐待、集団レイプ、いじめ、援助交際、自殺未遂……それらの体験がPTSDという精神疾患となり、彼女を苦しめていた。左腕には無数の切り傷の痕があり、交際してからもその数は増えていった。時に大量服薬をして現実逃避をした。徹底的に自分を痛めつけるのだ。

 そんな彼女を「私が守らなければならない」と思った。穢れた世界から抜け出して、光ある新しい景色を見せてあげたい。そう考えていた。しかし、その観念が強くなるほど、自分の無力さを痛感し、厭世的な価値観を抱くようになっていった。

 いつしか誰もが彼女を狙う犯罪者のように見えるようになった。外すことのできない真っ暗なサングラスをかけているようである。人、景色、過去や未来、あらゆるものが暗く恐ろしいものに感じてしまうのだ。彼女を救いたいと思っていた私は、彼女に救われたかった。「過去を消してくれ」と、わけのわからないことをお願いしたこともある。

 私の作る曲はどんどん悲壮感のあるものに仕上がっていった。私はいつも彼女のことを歌っていたのだ。

 付き合ってから半年後、二人で彼女の地元へ遊びに行くことになった。電車の中、彼女が海に寄りたいと言い出した。夏の猛暑であったが、到着した海は閑散としており、波音だけが際立っている。彼女は靴を脱いで裸足で波打ち際を走った。私も急いでズボンの裾を捲り上げて彼女に追いつこうと一緒に走った。海は太陽の光を反射し、散らばった宝石のように眩しい。彼女は白い歯を出して笑っている。
 やがて砂浜に二人で並んで座った。彼女は地面に謎の絵を描いた後、砂を両手で掬い上げた。

「これが私の人生」

 そう言って、細い指の隙間から砂がするすると落ちてゆく。砂は風に吹かれて斜めに流れる。その様子は星屑のようだった。慌てて、彼女の両手と地面の間に、私の両手を窪めて重ねた。

「それなら俺は、この人生になりたい」

 と言って、彼女の手から落ちる砂が地面に落ちないよう受け止めた。

 彼女は目を細めて笑った。その視線の先には水平線がある。どこか寂しそうだった。海に何を見ているか、私は必死に考えていた。

 彼女と同じ痛みを背負えば、それだけの距離が近づくと思っていた。
 そばにいてほしい。それだけのことを、いつも遠回りして伝えていた。
 そばにいることしかできず、そばにいるとわかっているにも拘らず。

 数日後、彼女から別れを切り出された。愛する気持ちが薄らいだのだと。私は取り乱して酒を大量に飲んで暴れてしまった。そこにはもう、彼女の気持ちに寄り添うことができない自分がいた。きっと彼女はそれをわかっていたのだと思う。

 誰かを守りたいと願うならば、先ずは自分を守らなければならない。誰かを愛するならば、先ずは自分を愛することが必要である。私たちは自分に注げる愛情の範囲でしか、人に関わることができないのだから。容量を超えてしまえば、私が私でいられなくなってしまうのだ。

 彼女と倒れてしまった若かりし私が、房総半島の海を傷だらけで眺めていた。私はあの海を忘れることはないだろう。そして彼女のために作った曲を、時折一人で歌うのだ。


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