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飛行機雲

基地が近い。
というか、地元の名前を言うと、ある一定以上の年齢の人からは

「ああ、基地のある」

と、かなりの確実で言われる。
同年代から言われたことはない。

「マッカーサーが降り立った」
とも言われる。

でも正確に言うと、基地は私の地元の名を冠してはいるが、
私の地元にはない。
隣の市にある。

東京ディズニーランドが東京にないようなものだ。
だが東京と聞いて「ディズニーランドがあるところ」と言う人はあまりいないだろう。

「私の地元はここです」
「ああ、基地のある」
「本当は基地があるのは隣の市なんです」

というのは鉄板のやりとりだ。
基地が近くにあると、色々と生活の上で弊害があるように言われることが多い。

だが、うちの地元の場合、距離的に近いわけではないので、そういう意味での弊害は特にない。

敢えて言えば毎回このやり取りをせざるを得ないのが弊害と言えば弊害か。

弊害は特になくても,基地が近くにあるという雰囲気は感じる。

小学校の窓が二重ガラスだったり、クーラーがついていたりすることはないが、

戦闘機が上空を飛んでいることは日常茶飯事なのだ。

戦闘機は一般的な飛行機より低空を飛んでるせいか、エンジンが大きいからか、あるいはその両方なのか、とにかく音が大きい。

しかも訓練のためなのか、単機で飛んでいることよりも、連隊を組んでいる方が多いため、より音が大きい。

あまりの爆音に、教室の中でも授業が一時中断することもある。

いわゆる軍用ヘリコプターや、一時期話題になった輸送機などもよく飛んでいる。
飛んでいるな、とは思うが、特に興味はないのでそれが何という機体なのかはもちろん、米軍のものか自衛隊のものかすらわからない。

たまに男子が「かっけー」と呟いても

それ以上話題になることもない。
「俺は将来、パイロットになるんだ」と目を輝かせて言う奴もいない。

ただ淡々とした日常で、それ以上でもそれ以下でもない。


体育で校庭に体育座りをしている時、上空を飛ぶ戦闘機を見上げる。

昔父親だったか、近所のおじさんだったかに言われた話を思い出す。


「フラフラ飛んでいた戦闘機がな、もう、落ちる〜ってなった時に、住宅街に落ちるのはマズイってなったんだろうな。あっちの山にガーンって向かっていって、墜落したんだ」


いつの話かはわからない。
少し調べてみたが、そんな話は出てこなかったので誇張が入っているのかもしれない。

父親の話なら、戦後生まれなので、戦争中の話ではないはずだ。

もう自分は死ぬかもしれない、となった時に

他に被害を与えてはいけない、と考えるか
敵兵の1人でも倒してやる、と考えるか


戦争中かどうかだけでそんなに変わるのだろうか。
私だったらテンパって、わけもわからんうちに死んでいそうだ。


山の方へ向かって行く戦闘機を眺める。
乗っているのはどんな人だろうか。

私が小学校に上がる直前に死んだ祖父は、戦時中パイロットだったと聞いた。

祖父は何本か指がなかった。
指がなくては操縦桿は握れないだろうから、戦後に失ったのだろうか。

考えても考えても、どれも自分には遠い話のようで取り止めがない。

飛行機雲が伸びている。

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