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学んで大きく成長するには振り切れるほど学んで、冷めること

カフェに行ったときに、懐かしい話が聞こえてきました。
ただの世間話かと思いきやだんだんと話の内容が変わっていて、現状に満足しているか、もっと良い方向に進みたくないか、こんなすごい人がいるから会ってみようよ、という話の流れになったとき、「ああ、ネットワークビジネスか」と思いました。
大変だな、と思います。
話している本人は本人の論理で本気で良い人生にしようと頑張っているけれども、客観的にみたら脆弱なモデル。
ネットワークビジネスをしている元知人がいましたが、本人はずっと笑っているけれども目は笑っていないし全然楽しそうじゃないし無償労働をしたりと大変なことになっていました。
やめた方が良いと言葉を尽くしたことがありましたが、あまり効果はありませんでした。
頑張っている最中は、自分のことで精一杯なので、人の言葉が届きにくい。
これは仕方がないことで、自分で気づいて納得するしかないことです。
周りの人の言葉が正確だとしても、自分で納得しない限り、本人には聞いても理解ができないか邪魔をしてくる存在だと敵対してくると思います。
もしそういう人がいたらできることはありません。
そっとしておくのが一番です。

誤った道にどっぷり浸かってしまったら、突き抜けるほどやるしかない

かくいう自分も本気で頑張って周りの言葉が聞こえていない時期がありました。
この人なら間違いないと思って本気で学んで、その後離れてそうでもない人だったと気づいたんです。
当時はこの人についていけば大丈夫、という認識でした。
けれども今振り返ればその人にすがるしかない、間違っていたらそれまでの労力が無駄になる、という認識が心の奥底にあった気がします。
げに恐ろしや。
その人が正しいと信じ込んでしまっていると、その人が正しくないことをしていても気づけなくなる可能性が高くなります。
盲信してしまった状態だとその人の言葉が正しい前提なので疑うことをしない。
客観的に見ればわかるのだけれども、その人についていくことで精一杯、また学ぶことでいっぱいいっぱいで忙しくなって客観性が減ってしまって気づけない。
この状態を自分で気づいて抜け出すのは至難の業だけれども、抜け出すには自分で気づくしかありません。
ではどうやって自分で気づくかというと、盲信する状態を続けて振り切れるほど学んで、疲れるようになって距離を置く。
そして少し冷めて判断力を取り戻して客観的にみられるようになる。
結局、突き抜けるほどどっぷり浸かるしかない気がしています。

信じているものがおかしいと気づくのは難しい

自分は昔気功を学んでいました。
学ぶ前から気功の存在は知っていて、わからないなりに本を読んで実践していました。
とあるセミナーに参加して、気功を教わる機会があってそこで触れたことがきっかけでした。
気功をその場で教わって如実な結果が出たり効果が自分に出たわけではないけれども、なぜかやりたいと感じて学び始めました。
はじめ1年はそれでよかったです。
気功について経験と実践を繰り返し、メキメキと成長できましたし良い時間だったと思います。
ここまではとても良かったです。
ここから、歯車が狂い出しました。
気功を教えてくださった方が気功で独立するためにビジネスを教え始めてからです。
今振り返ると矛盾の塊でしたが、当時の自分は盲信しており気づけませんでした。
その人を信頼しきっており、この人についていけば全てうまく行くと、疑いを挟むことがなかったからです。
たとえば「お客様目線が大切」と話しておきながらセミナー会場が汚くて狭くて臭い(お手洗いが近くにあって本当に臭かったんです)場所で行っていました。
そういった矛盾をあげればキリがないほど多数ありましたが、話す内容が素晴らしいと、実践していれば人生がよくなるだろうと、学び続けました。
何度も内容を復習したり、かなり頑張っていたと思います。
結局3年ほど学んでいました。
ただ、矛盾の塊で内容がどんどん劣化していたことに無意識では感知できていたから、どこかおかしいと感じ始めていました。
それでもこんなにお金も時間もかけて学んだのだから途中でやめたら大損だ、と学び続けたのだと思います。
自分の中でおかしいから辞めたいという思いと、続けなければという想いが交錯して争っていましたが、自分が体調を崩して精神も弱って強制的に距離を置くしかなかったことが幸運でした。
精神が弱っていたのでマッチョにやるしかない、とはならずにこれ以上ついていくのはやめよう、損切りしようと思えたんです。
辞めたらある程度元気が戻ったので、本当に辞めたかったのだと思います。
元気さが戻って頭の働きが取り戻せ、客観性も戻りました。

大量インプットは客観的にみると一気に繋がる

その経験を客観的に見ると、あれはおかしかった、あれ以上学ばなくてよかったと思えました。
払った金額と使った時間は惜しかったですが。
ただそれでもよかったことは、今までわからなかったことが急に繋がりだしたり、今までできなかったことが急にできるようになったんです。
気功の理解も深まって、「ああ、こうすればできる、伝わる」ということが体感して深まることもあったほどでした。
たまにの発動ですが、相手と会話しているとふと困っていることに気付けるようになりました。
こうなれたのは盲信的に学んで頑張って、その後冷めたからではないかと思っています。
盲信的に学んで大量にインプットして知識や経験が増えて、点がたくさんできた。
その後冷めて客観的にみられるようになって点同士の繋がりが見えてきて、線や面になった。
大量インプットの後の俯瞰的な視線が大切なのだと考えています。

時間もお金もかなり使ったので手放しでは喜べませんが、多くの経験ができてよかったと思います。
学んで大きく成長するには振り切れるほど学んで、冷めること。
もう一度やりたくはないけれども、大きな成長に繋がる一プロセスだと感じました。

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