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幻か 相米さんのこと

昨日の私のnoteの投稿について
水道橋博士さんからXの方にお返事があった。

こうなると気になって仕方がないので大雨の今日、外出を諦めて蔵書を漁ったがやはり見つからなかった。
2002年刊、映画芸術の「総力特集 相米慎二」にもそれはなかった。

幻の制作日誌。
キューブリックの「博士の異常な愛情」(1964)の正確なタイトルは、

そう、心配するのを止めよう。それがあの映画「太陽を盗んだ男」への愛。

案外当時制作進行の黒沢清さんがきちんと日誌をつけていたりしているのかも。知らんけど。

相米慎二監督には一度だけお会いした事がある。

1992年、伊丹映画祭。
相米さんはその年に撮影された「お引越し」のスタッフと共に、この映画祭で上映されていた私のデビュー作「She's Rain」を観てくれた。

あの相米さんが今劇場で俺の映画を観ている、と嫌がおうにも緊張が走る。

やがて、上映が終わり相米さんが出て来た。
近くのカフェに移動するご一行。
「お引越し」のスタッフの一人は私の大学の同級生Y。
私は相米さんに紹介される。

相米さんは自己紹介もなく、こう言った。
「座れ」
はい?と私。
「とにかく座りなさい」
あ、はい。命令形だ。
席に付くと次の一言。
「大変だったね」
急に優しい口調となる。
映画の内容が大変だったということではなく、制作に至るまでの過程が大変だった事を同級生Yから聞いていたようだ。
その大変だったエピソードを話すと、
「それを映画にすれば良かったな」と言われた。
その大変だった事で私が肝を冷やし、恐ろしく狼狽した心の有り様のリアリティがお前の映画には無いんだよ、と言われた気がした。

命令形とねぎらい。皮肉に込められた本質。
この緩急が一流の映画監督なのだ。
伊丹のカフェでの、このかけがえの無いひと時の断片は未だ私の脳裏から消える事のない残像である。

そして、忘れられない一言を相米さんはYに託した。
Yが後になって伝えてくれた相米さんの言葉。
「あの感覚は貴重だ。あとは人間が描けるようになればな」と。

阪神間のアッパーミドルを描いた事を指しての「貴重」なのだと思う。
この相米さんの言葉は三十年経った今でも金科玉条として大切にしている。

いやしかし、まだまだ「あとは人間が描ける」が未完、である。



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