見出し画像

「悪魔」とは何か Ⅲ 

 Ⅲからお読み下さっている方へ。
 「悪魔」の存在は、私の単なる主観や憶測や妄想ではない事をお知らせしたく、引き続き掲載しております。

 「悪魔なんてどうでも良い」と思われるかもしれませんが、現実にも未来にも、この悪魔の存在が私達に大きく関わってくるので、その点、御考慮頂きたいと思います。

 Ⅰでは「悪魔」と言う言葉、悪魔の理解的定義について、その悪魔と言う言葉の存在をすべての人が知っている理由を考えてみました。

 Ⅱでは、なのに、なぜ「人は」悪魔に対してはっきりとした意識を持つ事が出来ていないのか?そしてその悪魔の性質や人に働きかけている実際の行為について考えてみました。

 そしてこのⅢでは、悪魔が人に対して、密(ひそか)に行っているもうひとつの事を考えてみます。これが悪魔の主題であり第一とする目的になります。

 悪魔が自ら身を隠す事によって行っているもうひとつの結果的策略は、神の存在を否定する事です。特に悪魔はこの策略を、最重要プランとして実行し続けています。

 つまり、悪魔の存在が無ければ、人の中で神の存在も無くなり曖昧になる事を、悪魔は知っていて、それを狙い、行っているのです。
 悪魔は、自分自身の存在を曖昧にしている事をⅡでお話しましたが、そうする事によって、悪魔は神の存在をも曖昧にし、その効果を最大限に、世に現わしています。悪魔はこの世界で自分の存在を消し去る事によって「神を霧に包み込んでいる」のです。

 だから人は今、その策略の中に見事にはめられていて、結果として、人は神に対しても曖昧です。人が神に対して漠然とした認識しか持てないのは、悪魔が自分の存在をかき消す事によって、同時に神の存在をも書き消しているからです。
 悪魔は自分の身を隠し「神はいない」と言っています。「悪魔」が神話であれば「神」も文字通り神話で、人間が作り出したおとぎ話となります。人から「神を隠す」為に、悪魔は先ず自分自身の存在を隠しています。

 では何故悪魔は神の存在を無くし、曖昧にしなければならないのでしょうか。それには、以下の理由が考えられます。先ず、悪魔には改心の心が無いからです。
 悪魔に改心の心が無い事と、悪魔が「人に神を隠している」事に何の関わりがあるのでしょうか。

 悪魔の改心、それは神に対する改心であって、神が造られた「良心」に対する改心であって、悪魔は神に対して、良心に対して、改心する事が出来ません。その様に造られています。
 人の場合は、ある時、物事や、自分や、他人や、神に対して悔いたり、悩んだりする事が出来るのですが、悪魔は、そのすべての点において悔い改めたり、悩む事が出来ない存在です。

 悪魔が悪魔である所以(ゆえん)は、悪魔には不真実を貫き通す力が与えられていて、決して、その自分の立ち位置を変える事が出来ないと言う事実です。
 悪魔には「申し訳ない」と言う言葉は存在しません。だから悪魔は神の下ではいたくありません。つまり、神の存在より、自分の存在を低く見積もる事が悪魔にはできないのです。自分の立ち位置が最高のものである事を悪魔は主張し続けます。悪魔には神に対する改心の心を持たされていません。自分が、何者に対してでも、孤高で、崇高で、無二の存在であって、唯一だと宣言したいのです。実は悪魔は神になりたいのです。神に「とって代わりたい」のです。

 ですから悪魔は、至高の存在である「神そのものを人に曖昧にする事」によって「自分である悪魔」も「神」も存在しないと言う策略を遂行しています。神は単なる神話であって、神と悪魔との優劣関係も神話。それは単なる戒めであり、おとぎ話にしか過ぎない、と言うのが、悪魔が古来より人に対して行っている策略です。
 悪魔の存在は傲慢であるが故に、神と悪魔との優劣序列を否定し、神に対して傲慢に逆う存在と、その立場を強く望み、実行し続けています。

 前記の通り、悪魔には改心の性質がありません。人の場合、あるいは神への改心へと導かれる場合もあります。しかし、悪魔にはその設定、タスクがありません。ですから悪魔は、人にも神を認めさせる事を妨害するのです。悪魔は「人が神を知る事」を好みません。悪魔は「人が神を知り、改心する事」が一番許せないのです。なぜなら、悪魔は人に対し「神でなく」「悪魔である私を崇拝しろ」と言っているからです。

 人がもし神を知れば「神が人を求める」何等かの手がかりを人が知る事を、悪魔は知っていて恐れています。悪魔は「人が神を知る事」が怖いのです。悪魔には神に対する改心がありませんから、人にも神に対して絶対に改心させない様、策略を実行しています。
 
 私達人間が、神に対して不明確で曖昧な理由は、人が神を知る事が無いようにする為の悪魔の猛烈な働きによるものです。悪魔は、人が神に近づく事を、全死力を尽くし妨害しています。
 
 悪魔は神に改心したり、謝罪が出来ない存在であるが故に、人にも、神に対して謝罪して欲しくないのです。人と神との交流を、悪魔である自分と同じ様に、引き続き断絶させておきたいのです。そして悪魔は「人を常に自分の側に置いておきたい」のです。悪魔は人に対し「悪魔である自分を拝め」と言っています。人を「神から争奪し続けたい」のが悪魔の本心です。その為になら、悪魔はどのような事も実行します。
                            Ⅳへつづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?