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「悪魔」とは何か Ⅳ

Ⅳからお読み下さっている方へ。

 Ⅰでは、何故か「悪魔」と言う言葉を世界中が知っていると言う事実を述べました。
 Ⅱでは、その知っているはずの「悪魔」について、誰も、その中身を知らないと言う事をお伝えしました。
 Ⅲでは、今でも「悪魔」が行っている事実の片りんを知らせました。
 そして、このⅣでは、悪魔がⅢで行うべく事実の延長を、もう少し別の視点から考えてみたいと思います。

 悪魔が神の存在を曖昧にしなければならないもうひとつの理由は、その悪魔はやがて滅ぼされる事を自分で薄々気づいているからです。薄々と言うのは人間的な表現ですが、悪魔が自分で認めたくない事実なので、それを「薄々」と言う言葉にしています。本当は悪魔も滅ぼされたくないに決まっています。
 
 では、誰が、何が悪魔を滅ぼすのか。それは「悪魔」の存在を、一時的に、対局(本当は対局ではない)として許している「神」です。神は悪魔を滅ぼします。

 悪魔は神の被造物(造られた存在)でもあります。だから神には悪魔を滅ぼす力と権限と自由があります。悪魔は神の作品、造り物なのです。

 作家は、自分の作品をどのように取り扱うかについて、全くの自由を持っています。キャラクターの性格や活動、死に到まで、作家の自由です。
 陶器師を別例として考えてみますと、陶器師は陶器を自分の作品として造りますが、どのようにデザインするのか、どのような用途に用いるのか、は陶器師の、全くの自由です。
 そして、その造られたにしか過ぎない陶器である器は、陶器師に対して不平や文句を言う事は出来ません。
「なぜ私をこんなデザインにしたのか!なぜもっと大切に取り扱わないのか!」と言う事は出来ないのです。造られた作品でしかないモノは、造って下さった存在に逆らえません。

 神は悪魔をも造りました。神は、その悪魔に、現在、今暫くの執行猶予を与えていて、時が来れば悪魔は悪魔として、神が直接滅ぼされます。悪魔も神の作品にしか過ぎないのです。神が悪魔の性質を定め、神が悪魔をどのように取り扱うのかは、神の全くの自由です。

 神は人の前に、なぜか悪魔を造りました。そして人に対して影響を与える事を許されました。しかし、創造のはじめから、神は悪魔の策略をすでに頓挫させています。神は悪魔に栄光や実権や功績を与えません。それを悪魔は知っているから、悪魔はもうひとつの被造物である「人」を標的にして自分より先に人を頓挫させたいのです。

 つまり、悪魔は、人を、自分の様に滅ぼしたいのです。悪魔は自分の頓挫に人を巻き込みたいのです。悪魔には自分が滅ぼされるその時期とタイミングは隠されていますから、最新年号である近年、つまり現代、悪魔は、より一層、活発な活動により、人に、自分と神の存在をひた隠し、人に神を気づかせないように、まず自分を覆い隠しています。悪魔の目的は「人」を自分のように、滅ぼし、人を道連れにする事で、悪魔は人の神に対する意識を吠え猛ける獅子の様に食い尽くし、食いちぎろうとしているのです。

 その悪魔が、この世界にあって一番気に入らない出来事は、自分が神によって作られた存在であると言う事実です。そして悪魔はその事実をはっきりと明確に自分で気づけてはいません。飽くまで、悪魔は自分を、固有で独自の存在だと勘違いしています。それも、悪魔が、この世界で高慢にふるまえるひとつの理由です。

 もし「神」が絶対的な存在であると、明確に悪魔が認識出来ているのなら、知恵深い歴戦の勇士である悪魔は、神に逆らう事は行わないでしょう。  
 しかし、悪魔の神に対する判断は曖昧でしかありません。だから悪魔は、与えられているその能力、無尽の才覚と力量が故に、神に「とって代われる」存在だと自分で思い込んでしまっています。だから悪魔は神を倒せる、と本気で考えているのです。
 悪魔は自分だけを崇拝する存在が欲しいのです。それが、悪魔が人に神を曖昧にしているふたつ目の動機と理由です。

 つまり、まとめますと、悪魔はやがて滅ぼされると言う事実を、ある程度自分で確信している。
 しかし、悪魔は自分の創造者でもある神に対し高慢であるが故に、それらすべての情報の確信を持たされてはいない。
 だから悪魔は曖昧な意識のまま、もうひとつの神の創造物である「人」に矛先を向けた。
 人はその悪魔によって騙され、道連れにされようとしている。
 今、その渦中にあるのがこの世で、悪魔が支配するこの人間社会において、標的となっているのが「人」と言う事になっている。と考える事ができます。

 私達が「悪魔」を意識していたとしても、意識していなかったとしても、悪魔は私達を道連れにする為、その活発な活動を止める事はありません。

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