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30分未満日記 3連休は楽しめましたか


 タイトルでつけたページ数を数えるのをやめました。忘れるので。そして何日かお休みしてごめんな、私は気まぐれに生きるって決めたから…


 三連休は健やかに過ごした、健やかに過ごしたといっても過言ではないのではないのでしょうか。
 せっかく楽しい日々を過ごしたのに、書き留めておかないと忘れてなかったことにしてしまって「どーせ私の人生は…」とかまた言いかねないので、走り書きでもちゃんと書き留めておきましょう。


 1日目。SHIN-ONSAIを一日目だけ見に行きました。

 たまたま一週間前くらいにワールズ・エンド・ガールフレンドの「ここでライブやりますよ」ってのが流れてきて、メンツを見るとフンフン良いじゃん、しかも程よく近所、しかも座って見られるということで、元気がそんなになくてもライブが浴びられる、しかも一日4000円ポッキリとな。しかも一週間前でまだチケット買える。気分屋でチケットをすごい前の日に買ってもイベントの前になると行きたくなくなる私でも行けるじゃないか〜!…といろんなことに背中を押されて久々のライブ。
 結論から言うとすごくよかった。一番手の蓮沼執太フィルから「こんなに市民会館で低音ちゃんと浴びれるんだ」と堪能させてもらって、次のオウガの50分通しのトランス体験を浴びて、盛り上げようとする志磨遼平に「ごめんな、座ってて…」とちょっと申し訳なくなり、目的のwegには「これこれ!これが浴びたかったんです!」となる音と映像をこれまでとなく摂取させていただき、最後のtoeで「これがライブだ」と言わんばかりのグルーブを楽しませてもらい。隅から隅までもて余すところなく、完璧な半日でした。
 最後のtoeの美濃さんが「みんな座ってたらやりづらいでしょ」と愚痴っぽく笑い飛ばしてて、演者としては本当にそうなんだろうなァと申し訳なくもなったけど、見てる方としてはそんなtoeも含めて「座って楽しむ」のに比較的最適なメンツでよかった。ライブハウスに「元気」を持っていかなきゃ音楽体験できないとなると個人的にはハードル高いので、こういうライブ体験増えてくれるととても嬉しいですね。市民文化センター方式。
 来年もまた来よう。

 余談だけれど、あとからパブサしてて前川みくでおなじみ高森奈津美さんが同じ会場に見に来ていたのを知ってなんかよかった。声優さんが、アニメやオタクの仕事の枠の外にあるところで、ちゃんと自分のQOLを深めるような交友してたり趣味を持ってたりするのを見ると、なんかちょっと親近感湧いたり安心したりするんですよね。だって人間っぽいじゃないですか、そういうの。偶像然とされている人が、人間っぽいと安心しますよ。とても。
 高森さんもtoeのグッドバイ聞いて切なくなるんだろうなと思うと、あの切なさを共有できる人なんだと思うと不意に嬉しいじゃないですか。とても。


 2日目。買い物の日。渋谷から下北沢のいつものルートで秋服を漁った日。リワークに通っていた頃は古着で変な柄や形のニットとか見つけて喜んでキャッキャしてたけど、仕事に戻るとそうも行かないな…とそんな中で培ったアイデンティティを捨てずにもまだキレイめで回せるカーディガンとか探したりするなど。勝ち星はまぁまぁ。
 あとはプライベート用に念慮ちゃんのロンTとスウェットを刷ったりした。
 夏にガンガン着ていたTシャツの秋冬版。本当は自作したTシャツでこのデザイン(裏にニーバーの祈りが書いてある)がいちばん好きだし布教したいんだけど、SUZURIには「ニーバーの祈り」が著作権にひっかかる気がするのでブート止まりになっている。
 まあ「ニーバーの祈り」をタトゥーみたいに掘るほどじゃないけど自分のアイデンティティとして身近に置いておきたい、という気持ちで作ったものなので、自分用にあれば大満足なんです。そうなんです。秋冬も着るぞ。


 三日目。リワーク空いてたらお邪魔しようかな、しかし卒業して二週間もたってないのにどんな顔して行こう…とドギマギして電話をかけるもお休みでやっておらず。いつも祝日が日曜代休だったらやってたので「もしや」と思って電話かけてみたけど、スポーツの日ってもともと月曜日なんですね。しょんぼりだ。しょんぼりというか、しょんぼりもあるけどドギマギが肩透かしだ。
 雨振ってるし、前の2日間結構アッパーに過ごしたから今日は寝て過ごしちゃうおうかな、とも思ったけど何だかやっぱり「それで鬱にならず休みを開けられるのか?」と考えるとなにかした方がいい気がして映画を見に行く。
 「アンダーカレント」を見ました。前情報チラッと見つつ、今泉監督の名前は知りつつ初見。原作も未読。面白かった。面白かった、という表現が正しいのかわからないけど、脳にたくさん刺激をもらいました。たぶん普通の人が泣くところで、個人的に思いを重ねるところもあり泣いところでボロボロ泣いた。
 人を知るってどういうことなのか。そもそも自分を他人に知ってもらうことはできるのか。誰かにそれを話すことは重荷でないのか。重荷だと思っても話して楽になりたいのではないか。そんな孤城のような思いから解き放たれるのはどんな時なのか。そもそも自分にそういう心の深い部分があることに気づくのはどういう時か。そして、自分が、あるいは他人が本当にそういう深い部分を知ってしまった時、人はどう変わるのか。
 そんなことをずっとグルグル考えさせられるような映画でした。物語自体は2時間半にすっぽり収まる淡々としたものだったけれど、そこに視点をあてていたらとにかく目まぐるしかった。
 ちょうど最近見た「ほつれる」が同じような視点の映画でこちらもよかった。

 「ほつれる」と「アンダーカレント」、共通して良かったなと印象に残ったのは、とにかく「怒り」がないことである。昼ドラなら怒りを挟み込んで終わりにしてしまうところを淡々と感情に向き合っていく。そして、ずっとそのドロドロと主人公たちが向き合いながら、何かの「タイミング」が訪れたときに雪崩のように、だけど素直で丁寧に相手に流し込んでいく。 

 これは東畑開人先生の「聞く技術 聞いてもらう技術」の受け売りなんだけれど、人は誰かに「怒り責められる」と防衛反応で逃げるか戦うかの言葉を選んでしまう。そうなってしまうと、自分の心のうちも隠して自分を正当化するための言葉を選ぶしかなくなる。
 そうならない、優しい世界。だからこそ得られたセラピーのような結末。私はどちらの作品にもそう感じたし、だからどちらの作品も好きな作品だ。


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