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3つの好きな映画|夏の夜、ミッドナイトが紡ぐ物語[パリ、東京、メキシコシティ]

「あと」と「さき」

後先(あとさき)考えずに〜、というと、「物事の順序や前後を考えずに」ということなので、「あと」は「」で過去のこと、「さき」は「」で未来のこと。

と、一瞬思ってしまうけど、そう簡単なものでもない。

後回し」と言えば、未来へ先延ばしにすることなので「あと」は過去ではなく未来。「先の戦争」と言えば、過去のことで、未来のことではない。

後々のことを考えて」と「先々のことを考えて」はどちらも将来のことで、「後をたどる」と「先日を振り返る」は、どちらも過去を考えることになる。

「あと」と「さき」は一筋縄ではいかない、複雑な味わい。

ということで、物思いに耽るにはちょうどいい夏の夜。ミッドナイトシネマが紡ぐ物語でもどうでしょう、という話。

「あと」と「さき」を「空間と時間」で整理

あと」と「さき」の未来と過去の混在は、空間概念時間概念が混在していることに起因する。詳しくは『世界の辺境とハードボイルド室町時代』にて。

空間概念で「さき」は前のことで、「あと」は後ろのこと。目に見える前が「さき」で、見えない後ろが「あと」。

時間概念で「さき」は過去のことで、「あと」は未来のこと。過去はすでにわかっているので「さき」で、未来はまだ見えないので「あと」。

わかっている(見えている)=さき
わからない(見えていない)=あと

あとさきは未来と過去で理解するのではなく、見えているか見えないかで整理する。これで納得。

夏の夜、ミッドナイトが紡ぐ物語

1920年のパリのミッドナイト
東京の夜の街の片隅で
メキシコシティのリアルな深夜


ミッドナイト・イン・パリ

真夜中のパリに魔法がかかる

アカデミー賞とゴールデングラブ賞で脚本賞をW受賞したウディ・アレン監督・脚本作品。売れっ子脚本家のギルが、1920年のパリにタイムスリップした先でヘミングウェイやピカソなどの偉人たちと出会うロマンティック・コメディ。

ピカソ、ヘミングウェイ、ダリ、ロートレック、、同時代に生きていたとは思えないほど、錚々たる顔ぶれが集う1920年のパリ。そこにタイムスリップしたら面白いよね?と純粋な知的好奇心が起点となったと思われる映画。

100年前に突然タイムスリップしても、建物や街並みが変わらないパリだからこそ、ついこの前まで生きていた偉人たちに共感できるし、遠い過去の知らない世界でしかない、と切り捨てることもない。

パリの街と深さと偉大さと素晴らしさ。


ミッドナイト・スワン

孤独な二人、命懸けの愛

故郷を離れ、新宿のショーパブのステージに立ち、ひたむきに生きるトランスジェンダー凪沙。 ある日、養育費を目当てに、育児放棄にあっていた少女を預かることに。 理解しあえるはずもない二人が出会った時、かつてなかった感情が芽生え始める。

トランスジェンダーの凪沙と育児放棄にあっていた少女・一果の物語。とても自然で、違和感なく、目が離せなくなる演技を見せてくれる草彅剛。こんなにすごい俳優だったっけ?と思うほど。

そして、演技未経験とは思えない服部樹咲の表情と圧巻のバレーシーン。今後も要注目の役者さん。無意識に投げかけられる無配慮な言葉に日々傷ついていく、とても自然でリアルなシーンの数々。

ヒリヒリと、魂を揺さぶる、美しい作品。


ミッドナイト・ファミリー

メキシコシティ900万人の人口に対して
公共の救急車はたったの45台

私営の救急車で闇営業を行う家族の物語。公共の無線を傍受して、救急車が必要と思われる場所にいち早く駆けつけ顧客を獲得する。早いもの勝ちの世界なので、同業の闇営業者と熾烈な競争を繰り返す。

闇営業なので悪いことではあるけれど、公共サービスがまったく行き届いていにない世界では必要悪。汚職、行政機能の停滞の間で、営利を求めつつも、社会のフェースセーフにもなっている世界。

「感謝している、でも文無しだ」

せっかく顧客を獲得しても、担架で運ばれながら放たれる言葉に、呆然とする表情。フィクションではなく、今現在メキシコシティで繰り広がられるミッドナイトの物語。



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