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シン・エヴァ終演に向けて。其の一 久々に見た旧劇がハッピーエンドだった。

 いよいよシン・エヴァンゲリオンの幕が下りようとしています。三月の公開初日に見て以来、もう一度エヴァを最初から見返して、再度シンエヴァを観ようということで、現在TV版から旧劇まで見返しました。見返し始めるまで時間が掛かりましたが、後は新劇の序破Qを見返すだけです。(まぁ庵野監督もギリギリだったんで、僕もギリギリで行きます)

 TV版と旧劇を見直した率直な感想としては、『すきだった』じゃなくて『すき』と言えるくらいに面白かったし、見るのが怖かった旧劇場版も見終えたら、これってハッピーエンドだったんだ、となって感動しました。ということで、TV版と旧劇場版を見返しての感想を書きます。

TV版前半の出来の良さ

 エヴァTV版は全二十六話であり、前半は一話から十三話までということになります。TV版を見て思ったのが、まずこの前半部分の出来がめちゃくちゃ良いということ。
 自分は作品の古さ、新しさに厳しい派ですが、それでも今見ても古くなかったし、尖った世界観と設定、演出のロボットアニメとして見た時に、とにかくよく出来てる。エヴァTV版の前半部は、まさに現代アニメの古典に相応しい作品となっています。

 ただし、後述しますが、後半の十四話から『何か』が狂ってきます。それは制作スケジュールであったり、庵野監督の精神状況だったり。そこは、後ほど・・・。

 一話と二話はもう完璧に近い構成だし、やっぱりエヴァおもしれーとテンションが上がりました。エヴァと言えば、訳のわからない考察アニメ、という側面ばかりにスポットが当たりますが、単純なアニメとしても面白いのだということを再確認しましたし、エヴァをただのアニメに戻したシンエヴァの意義の大きさを感じます。
 観念的な部分(自己問答、精神描写)は、本来はエッセンスに過ぎなかったはずです、特に前半部はそういう要素も含めて、良いバランスの構成となってます。

 庵野監督は2000年代初頭からずっと、エヴァは衒学としてそういう要素を入れてるだけ、と言っていて、それを全部鵜呑みにするのもアレなんだけど、実際前半部はそういう観念的な部分はあくまでフレーバー要素だな、と見返して思いました。

制作、物語が歪み始めるTV版後半

 さて、問題は十四話からの後半部です。明らかに制作スケジュールが危うい状態であることが画面から伝わってきます。自分はエヴァに関して、特にその資料とかをちゃんと読んでる派ではないので憶測になりますが、十三話を完成させた時点で、制作陣はかなり疲弊してる感があります。

 前半部にも、作画を節約しつつ、しかし演出的に工夫してる、良い意味での手抜きパート、というのがあります。(多くのアニメ作品にはそういうパートがあります)後半部は、もうそれは露骨に精神描写が増え、露骨な時間稼ぎが増えます。
 もちろん、エヴァのそういう観念的な部分は好きではあるのですが、大人になってから後半部を見ると悲しいかな、明らかにスケジュールがヤヴァイことが透けて見えるようになりました(笑)しかし、追い詰められているからこそ、庵野監督の本音もそこに出てるような気もするのです。そうだとしたら、まぁ恥ずかしいから「あれは衒学でぇ~」って言うよね。


 後半部で言えば、十九話の『男の戦い』は神回ですが、もうほぼあそこで制作陣は完全に燃え尽きてしまったように感じます。ストーリー展開的にも後半部は駆け足に、そして構成も荒くなっていきます。
 よくエヴァは難解である、と言われることがありますが、実は説明すべきことは割とミサトやリツコが説明してたりしますし、TV版においては単純に話数が足りていないな、と感じました。

 スケジュールもストーリーを締めるための話数も足りない!そらあんなことになりますよ!だから、今回思ったのは、前半部の十三話までのクオリティを保ったまま後半部を作り切っていたら、それはそれで良くできたロボットアニメとして名作になっただろう、ということです。しかし、そうはならなかったし、もしそうだったら社会現象にはならなかったかもしれません。


 エヴァの終わり、としてのシン・エヴァには納得しています。しかし、TV版後半部を見ていて、完全な形のTV版、もっと素直な少年少女のためのストーリー、具体的も言えば、シンジとアスカが初号機に一緒に乗って、覚醒した初号機が人類補完計画を阻止する、というような分かりやすくカタルシスのある結末を観たかった、とも思いました。第八話の『アスカ、来日』にて、アスカとシンジが同乗した二号機がシンクロ率の新記録を出した、という伏線として使える描写もあります。
 当時の鬱展開ブーム、そして、庵野監督がデビルマンが好きなことを考えると、まぁそういう結末の付け方はほぼありえないのだけど、そんなTV版も見たかった!旧劇の途中まではそうは思っていたのですが、見終わった後、考えは変わりました。

旧劇はちゃんとハッピーエンドだった

 旧劇を見ていて、やっぱり旧劇面白いし好きだわ、って思いながらも、前述の通り、やはり鬱展開もありますし、どうして、スカッとする展開にならんかったんだ・・・?と観てて思っていたのですが、見終わった時点で、そうではなくて、これはこれで完結しているし、当時のセカイ系の文脈を踏まえても、これはきちんとハッピーエンドだ、と確信しました。

 もちろん、シンエヴァを見てからの旧劇なので、それを踏まえてだから、昔の感じ方と当然変わってしまっているのかもしれません。

 しかし、旧劇の本質的な部分はものすごくシンプルだったのだと気づきました。


 人間と使徒は同じ存在だった。結局、人類補完計画が発動し、シンジを含め、皆ひとつになる。LCLの海の中で、シンジはいろいろ考える(TV版の25~26話参照)傷つけあうとしても、人は人として生きるべきと決断する。シンジの決定で人類補完計画が破綻する。シンジとアスカが海から戻る。シンジ、アスカを殺そうとするが、アスカに撫でられ、その好意が嬉しくて泣く。アスカ、映画冒頭の「いつもみたくバカにしてよ!」というシンジの願いの通り、泣いてるシンジを『きもちわるい』と言う。終劇。


 確かに、当時のオタクに対して攻撃的な部分だったり、電波な部分はあるんだけど、見返すとそこまでって感じで、それが結果的に分かりにくさを生んだかもしれないし、実際分かりにくくしてる。だけど、本質的にはこういう分かりやすいストーリーだったんだ、と思いました。

 そして、シンジは旧劇において、基本的にずっと落ち込んで、何もしない、できない、と受け止められるし、自分も『シンジは最初なら最後まで何もしない』って感想だったけど、見直すと、いやいや、ちゃんと一人の確立した、個の人間として生きるって決断してるじゃーん!偉いじゃーーーん!!と思いました。覚醒したエヴァに乗って敵をやっつける!みたいなことはもちろん出来てないんですけど、エヴァのテーマとしては一番大事なことをシンジ君は旧劇の中でやってたんですね。

シンジとアスカ

 ラストシーンについては、様々な解釈が揺らいでいたのですが、シン・エヴァにて、アスカとシンジの関係性について、きちんと作品内で明示され、旧劇がセカイ系ハッピーエンドであることが確定したのを確認できたのが良かったです。
 崩壊した世界に二人っきり、傷つけ合ったし、いろいろあってお互いボロボロだけど、最後に分かりあえて・・・っていうラストシーンだったんだなって。

 ラストシーンについては結局、人は傷つけ合うのか、という絶望的なシーンとして捉えることも、昔は出来たんだけど、もうシンジとアスカは両想いって明示されてるんだから!アスカがシンジを撫でたのも愛情からだし、シンジが泣いたのもそれが嬉しかったからだし、アスカの「きもちわるい」も、あそこでアスカは「すきだよ、シンジ」なんて言う女じゃないから正しいわけで・・・
 とにかく、初めてエヴァをテレビ放送で見たのが小学生の時で(当時は理解できず)、シンジとアスカがそれぞれシンジお兄ちゃん、アスカお姉ちゃんだった自分からすると、あぁなんだ、旧劇はセカイ系としてはちゃんと完結してて、ハッピーエンドだったんだと確認できたのが嬉しかったです。

考察はほとんど無意味だった(になった)

 ここまで、触れてませんでしたが、公式スピンオフ小説、エヴァンゲリオン アニマにて、実はかなり詳細にエヴァ世界についての設定が説明されています。考察も楽しいんですが、せっかく小説で語られる情報も含めて、エヴァをもっと作品内で素直に捉えるべきだなと今回思い直しました。
 しょうがないとは言え、エヴァはメタ考察が当たり前になりすぎてるし、もちろん新劇で言えば、マリがモヨコに影響受けてないわけないのですが。カヲル君が人間は現実と虚構を同一に捉える存在だから、しょうがないか!

 というわけで、シンエヴァ視聴後のTV版と旧劇の見直し感想でした!さぁ、ラストランするぞ!!


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