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Vol.27 壮絶に「詰め」られたアルバイト時代~「詰め」は必要なのか?~

こんにちは「みろ」です!

あなたは「詰める」という言葉を知っているであろうか?

「詰める」とは「追い詰める」からきた言い回しで、仕事において上司から威圧的な態度つまりパワーマネジメント(悪く言うとパワハラ)を受けることを言います。

今はパワーマネジメントに対して社会的監視体制が厳しくなっていますので、大っぴらな「詰め」はないのかもしれませんが、自分が学生時代、パワハラなんて言葉がまだ世に広まる以前である20年前の社会には「詰める」という文化が色濃く残っていたのです。

今回はその当時の自分の経験から、パワーマネジメント「詰め」についてその必要性について考えてみようと思う。

では始めよう!

■大学時代のアルバイト経験

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大学生時代の当時、自分は家の近くの焼き肉屋でアルバイトをしていました。アルバイトの目的は、奨学金だけでは不足していた生活費を稼ぐためであったが、近所にはお店があまりなく、最も近いアルバイト先がその焼き肉屋であったので手っ取り早くそこで働き始めました。

業務はホールスタッフ

注文を受け配膳やら後片付けをする仕事です。仕事内容はシンプルなのだが、右も左も分からない社会経験1年生の超ビギナーにとっては、ハードルの高い仕事内容であった。

初日は全体の仕事内容を頭で整理するだけでいっぱいな感じでしたが、優しく丁寧に教えられ、良い職場という印象があったのを覚えています。

だが、2回目以降の勤務から状況が激変する事となります。

■店長からの半年におよぶ壮絶な「詰め」

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2回目以降から「詰め」られ始めました。

「店長」にである。

当時働いていた従業員を説明すると、ホールは「店長、主任、アルバイト5名ほど」、厨房は「調理師3名と皿洗いのアルバイト1名」という構成でした。

店長は当時50歳くらいでキビキビしたとても優秀な男性でした。他社から引き抜かれて当時開店したばかりの焼き肉屋の店長と本社の「常務」をかけもちしていたのです。
ちなみに、社長は見た目がヤクザみたいな人であった・・・怖っ(;´Д`)

店長は仕事を離れると比較的温厚なのだが、仕事となると全てが完璧主義で気に食わないことがあると、真っ先に口が出るタイプの直情的な性格でした。さすがに、手は出ませんでしたが('ω')ノ

(こちらはビギナーなんだから、ちょっとは優しく遠慮してものを言えよ!)なんて思いつつも、お構いなしにガンガン「詰め」てきたのである・・・

 「遅いんだ、バカ野郎!」

 「先にドリンク!持ってけバカ!」

 「お客を入れるから早くテーブル準備しろ、このグズ!」

 「あたま使って考えて動けよっ!ノロマ」

私のやる事なす事すべての仕事に睨みをきかせ、事あるごとに言葉によるパワーマネジメントで圧迫してきました。本人には全く悪気はないとは分かってはいたのだが、強い言葉によるストレスで徐々に心が蝕まれていきました。

■ある日、気持ちを切り替えた

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「クソ野郎が~!!!!!!!!」

自分は追い詰められた状況になった時、しょげはするものの同時にこうした怒りの気持ちも沸き起こります。

それは誰にか?
自分に対してである(実際は相手1に対し、自分が9くらい)

「詰め」られるのは、仕事ができない自分に原因があるのは明白であり、期待に応えられない、仕事ができない自分に対し悔しさが込み上げるのだ。

そして、ある日を境に気持ちを180度切り替えました。

「くそったれ、もうとことんやったるわ!!!」
「怒られるのはもうどうでもいい!それより、誰よりも仕事を抜群にこなして店長をだまらしてやる!!!」

「詰め」から振り切ったのだ!

辞めることは簡単だ。時給もたかだか800円、今日明日にでも電話一本で簡単に辞められる。それよりも、できない自分に無性に腹が立っていたから、とことんまで仕事に向き合い、自分を認めさせる事を選択したのです。

その後も、相変わらず「詰め」られる日々が続いたが、それよりも夢中になって仕事のことを考えました。

終わってからは「あの状況はこうした方が良かったな~」「あのタイミングで先回りすれば、Aさんの助けになったかな?」「この作業を省けば、時短になるのかな?」その日の仕事を振り替え対策を毎回立てたのです。

そしてバイト開始から半年が経過し状況が激変しました!

「店長」が自分を頼ってきた!

予約が多く埋まっている日には、必ず自分を指名しバイトに入ってくれと懇願するようになったのです。予約があれば、とにかく忙しい。なので、当日の指名をされることは、戦力としての期待の表れを示すものなのである。

「ついに、認められた( ;∀;)」

その後は良好な関係を築きつつ2年間ではあったが、時には厳しくも今現在に通じる仕事のイロハを指導していただいたのである。

「店長」感謝します!

■「詰め」は必要か?

「詰め」は今の風潮においては御法度だ。すぐに答えが出てしまったが、実際に「詰め」を体感した自分の立場からその存在意義を問うと、

「詰め」は必要ない!

「詰め」は人や仕事を強くします。
しかし、それは「詰め」てきた人へ向かう抵抗力からであって、仕事本来の向かうべきベクトルからズレてしまう可能性があるのです。

自分の例で言えば、ホールという仕事はお客様がいかに気持ちよく食事をしていただけるかが業務の本質となるのだが「お客様の満足」ではなく、

「店長を満足させる」ことが目的となってしまう!


つまりは、店長の顔色をうかがいながらの、「怒られないための労働」と化してしまうのです。

「詰め」を使った教育は即効性があります。しかし、長いスパンで考えると企業や組織においてはデメリットしかないのです。

であるから、「詰め」は必要ない!と言えるのです。

■時には「詰める」ことも必要だ!

ホールの例では「雑談をしている」「服装がだらしない」「笑顔がない」など、明らかにお客様へ気持ちが向いていない時には「詰め」が必要である。

「仕事の本質や意識に対する教育」「人間としての教育」、成長を促すための明らかな意図を持ち合わせていれば、それは優しさを伴うものであり「詰め」は大きな意味を成します。

上司であれば部下の将来を見据え、時には「詰め」を通じた厳しくも意味のある指導を行いましょう!

■まとめ

自分は「詰め」られ大きく成長した。
そうした意味で、当時の店長には大いに感謝している。だが、まだ右も左も分からない当初からの「詰め」は、いくばくかの傷を心に残してしまい、時間を経て関係が良好となったとは言え、表面上は良くとも深層的には埋まらない溝を作り出していました。

過去のアルバイトの記憶をたどると、店長からの「詰め」が最も強くフラッシュバックしてしまうのです。

普段からの信頼関係が重要である!

信頼関係が構築されていれば、詰められる方もそこに「優しさ」があり「大切な意味」があると感じます。しかし関係性の浅い中での、理不尽な「詰め」は個人的な快楽による暴力とみなされ、相手に少なからずも容易に消えない傷を負わせてしまうのです。

あなたは人を指導する立場にあるであろうか?
そうであるならば、上記のことを十分自覚し信頼関係を前提とした教育や指導を行っていただきたいと考える。

「詰め」てはいけませんよ!

では、また次回(^^)/

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