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母に言えなかった本心とは

孫たち(6歳、3歳)と公園で遊んだ帰り道、道端に咲いていたぺんぺん草を孫が指さし、「ママが好きだから摘んでいきたい」と言った。
一緒にぺんぺん草で花束を作り、家にいたママに渡すとママも喜んでくれた。

隣にいた孫たちのパパが、「一つは、大きいばあばにあげたら」と言い、孫たちにとって曽祖母になる大きいばあばに渡した瞬間、その花束を作った一人の孫(3歳)が「なんであげるの?」と悲しそうな顔をした。
すると、もう一人の孫(6歳)が、「私のをあげる」と言ってその場は終わったのだが、そのやり取りを見ていてある出来事を思い出した。

それは、私が30代の頃の出来事である。
旅先で美味しそうな貝が売られていたので、貝好きの母に土産として買い、母に届けた際のこと。

たまたま居合わせた親戚のおばさんに母は言った。

「この貝、持ってって」と。

親戚のおばさんは、「わざわざ美和さんが買ってきてくれたんだから、悪いわ」と言ったのだが、母は、「そんなんええやんか。私がもらったものやし。ええよね?」と言ったのだ。
私はとっさに、「どうぞ」と返答したのだが、内心は深く傷ついていた。

母に食べてもらいたいと思い、母の喜ぶ顔を想像して届けに行ったのに、そんな想いを少しも受け取ってもらえず、そのうえ、「ええよね?」と私に聞いてくる無神経さに腹が立ち、悲しかったのだ。

でも、なぜあの時、私は3歳の孫のように意思表示ができなかったのだろう?

母の、「私がもらったもの」という理屈に反論できず、親戚のおばさんにはいい顔がしたかったのかもしれない。
母のその時の行動は、未だ理解できないままでいる。

その後、「私がお母さんの為に買ってきたのに、なんで おばさんにあげたん?」とも聞けなかった。
なぜ、聞けなかったのだろう。

いくつの頃からか記憶にはないが、母には本心を話さないことがしばしばあった。そんな母は3年前に他界したが、なぜそのような関係になったのだろう。

本心が言える素直な人になりたい。

ありがたいことに主人には本心が言えていることに、ふと気が付いた。
そう考えると、母の行動に対する腹立たしさや悲しさが癒え、ひょっとしてそれを気付かせるためだったのかもしれない。とさえ思えてきた自分がいる。

考えても答えが出ない母の気持ちよりも、素直な自分でいられることに意識を向けようと思う。

あなたは本心を伝えていますか?
素直な自分が好きですか?








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