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服への罪悪感と今。

遅ればせながら、あさみ氏の1年3セットの服で生きるを読んだ。
チャリ通でパシオスのパーカーしか着ていない期の反動でルミネジャンキー→古着屋巡りを経てたくさんの服に囲まれていた私。綺麗目も古着系も好き。
大学終わりかけに一人暮らしを始め、タンス収納からお気に入りの服をハンガーラックにかけホクホクしながら生きていた。そこから社会人になり、制服出勤で私服を着る回数が週に1,2回に減った。
でもまあ、多い、服が。

一人暮らしはじめたてのときに元アパレル店員の母に「服多くね?笑」といわれた、半笑いで。服の楽しさを教えてくれたのはあなたなのになんでそんなこと言うの!?と最初は動揺していた。「きてあげないの可哀想やで」と残し、新しい家庭に帰るマイマザーの背中が印象に残っている。変わっちまったなぁ、そういえば作ってくれた卵焼きの味も変わってたし…となんか悲しくなった。母親が出ていって5年ほど経つのに離縁の悲しさって残るもんなんやな。自分で服買い始めたのもその辺りだし、寂しさを服で埋めてたのかも。などなんか服とは違う方面に内省していた。意味がなさすぎる。

そこから1年ほど経ち、仕事にも少しずつ慣れ、恋人ができるなどして心に余裕ができた時に聞こえた…「もっと着てくれ」という声(スピリチュアルではない)給料日前はおこもり生活のため私服を着るのは0回というのも少なくなかった。その時々でときめかなかったものは断捨離していたが、それでも多い。これ学生の時からきていないんじゃないの?でも服楽しめるの今だけだし、色々な種類の服を持っている方がこの服着たい!てなった時にハッピーだし…この前売った服も結局着たくてまた買い直したりしてるし…と抱えられる分だけ抱え込んだ。それと同時に着ていない服たちへの罪悪感を服を選ぶ時に感じていた。なんかみんな(知らないミニマリストインスタグラマーの方々)のクローゼットってこんなにおしゃれで系統も絞られてるのに、なんで私は…最近買ったものしか着ていないけど手放したくないんよな…(いまおもうと「なんで私服着ないのに私服買う?てかんじだけど)

そして何系統かためしているうちに、モード系や直線的な服を着ている時に褒められることが増えた。自己診断曲線顔、優しそうと言われるし、いくつになっても好きな服着る予定だけど若いうちに着るのってやっぱいいよね!!と淡めのパステルカラー、フリル、レースなどをなんでもかんでも取り入れていた私(学生時代の自己診断はソフエレかキュートでJillやniceclapやマジェ系の服、マーメイドスカートなどがすきだった。)、さすがにこんなに褒められると黒も着だした。一回着るとすごくいい。まさか自分の人生でクーカジュに寄せる日が来るとは…。あとは骨ストはベーシック!直線!という世論に反発したかったのもあると思う。(いまだにタイトスカートかミニしか履かないけども)Vネック着まくっていた時の反動でトップスは反抗したかったんだな。
そして心が元気な時にやっぱり罪悪感あってしんどいかも!楽しく服を選びたい。と断捨離法を探しまくった。
元々服の手入れは好きだったため、毛玉ができたからばいばい!などはあまりしてこなかった私。あまりにも体系に合っていないもの(腰骨がしっかりしているのでレースのガウチョパンツがあまり似合わなかったのを覚えている)は断捨離していた。
そしてときめく ときめかない で選ぼうとすると、もう全部ときめく。かわいい。このヴィンテージのブラウスはボタンが可愛いし、何より縫製も生地もいいし、このヘザーのピンクブラウスはめちゃくちゃ着膨れするけど捨てたら後悔しそう。そりゃそう。ときめいて服買ってるんだから。もう断捨離無理だわ!服楽しく決める方法探そ。と、考えていたら自問自答ガールズの方々のnoteをみつけた。あっみんな服にときめいてる。その中で自分の似合う 好き なんで似合うのか?なんで好きなのか?とかを考えて、視界をクリアにするために断捨離してるんだ。この人たちの断捨離は目的じゃなくて服を楽しむための過程なんだ…
そうしてすぐに電子版で1年3セットの服で生きるを読んだ。とても読みやすくて、するする頭に入ってきた。頭というか、血液になったような感覚。言葉が体を巡っていく感じ。紙のほうも買おうかな。服が好きだから、自分のところで止めるんじゃなくて他の人に使ってもらいたい。顔タイプド曲線だと思っていた時に買ったパワショルの秋色リブニット(これも着膨れする)、5枚あった台形スカートたちもかわいいけどまたどこかで会おうね、の気持ちで最近買った一番タイト目で足が綺麗に見えるものだけ残し、友達に譲った。クローゼットを見ていたら似たワンピースが2,3枚ずつくらいあってびっくりした。理由をつけて一枚しか着ないのにね!

秋冬シーズンで、友達の趣味にもあわなそうな服をリサイクルショップにお嫁に出す。売却。464円。そんなことって…と帰宅したが、ラックをみると前に比べて隙間が増えた。なんでこういう時にビフォアフの写真撮ってないんだ。ハンガーが今30本くらい余っている。そういうことだと思う。そういえばコストコのデッカ袋がパンパンだったな…。デイシーのドレッシーなタイトスカート、誰かに着てもらってね。一回しか着なくてごめんね…。春夏服たち、次の断服式にまた会おう。ちょっと今はまぶしくて直視できない。

その時には私のコンセプトも決まって、新しくお嫁に行く子たちも多いかもしれないけど、それがいい。私の気持ちも好みも変わっていく。その時々にあった服が手元にあればいいんだって気づけたような気がする。せっかくの大好きな服たち。私の愛情表現は着ることなんだと思う。ベージュを着たい日、黒を着たい日、カジュアルな日、ラーメンを食べにいく日、おめかししたい日。色んな制服を決めた私はまだまだ3セットには程遠いけど、それも私っぽくてなんかいいな、て今は思える。これからは愛せる分だけ持ちたい。それが私を愛することにつながる気がする。

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