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ご破算に出来る人

 「PERFECT DAYS」を見ないまま春になってしまうな…と思っていたら町外れのミニシアターで上映しているのを知って、年度末の忙しい時期だけれど平日に休みをとって行ってみようかな…と迷っている。

 主人公の平山さんはトイレの清掃員として働き、ささやかな楽しみを持ちながら慎ましく暮らしている。フライヤーには「こんなふうに生きていけたなら」とある。私はこのコピーにズキッときた。これは、どの立場の人が言っているのだろう?そして、平山さんはこの生活に行き着くために、何かをご破算に出来た人なのかもしれない…と思った。当然のように身を置いていた職場や住み慣れた土地、親密な友人や家族、人生で獲得した地位や名誉。簡単には手放せない何かを、自身の平穏のために自らご破算に出来た人だからこその暮らし。目指した暮らしというよりは、止むに止まれず辿り着いた暮らしのように思う。覚悟をもった穏やかな暮らしは、容易く憧れる暮らしには思えない。

 私の母も長年、大手企業の工場で清掃の仕事をしている。広い構内を自転車で移動して、オフィスやトイレの他、浴室の掃除もある。やはり、生活のために働いているのだけれど、平山さんとは真逆の暮らしかもしれない。

 70歳を過ぎてからは少し余裕が出来たけれど、50代、60代は仕事をするのに暑いか寒いかだけで、季節の移ろいを気にとめる余裕もなく、趣味を持つことなど想像も出来ない。唯一の娯楽はお茶菓子を片手にテレビを見ることで、家事と仕事と入退院を繰り返す父の世話で精一杯。気持ちもお金もギリギリの暮らしをしていた。

 今思えば、父が病気で仕事勤めが出来なくなり生活が立ち行かなくなった時、スッパリと諦めて身ひとつで再スタートしても良かったかもしれない。母と私でなんとか遣り繰りして家や土地や車や世間体は維持出来たけれど、それと引き換えに随分と楽しめたはずのささやかな日常と心の平穏を犠牲にしたように見える。

 人生でどうしようもない行き詰まりにあたった時「ご破算で願いましては…」の声にスッと算盤をゼロに戻すことが出来る人は本当に凄いな…と思う。

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