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ガルシア・マルケス 『百年の孤独』

 ずっと読みたくても、読める気がしなくて手が出なかったガルシア・マルケスの『百年の孤独』がひょんなことから私の手元にきた。職場のとある方の私物で、丁度処分されるところを私が通りかかって貰うことになった。こんなに上手い具合に手に入るなんて、本にも巡り合せがあるよなぁ…と思う。そして、本が人を選ぶこともあるよなぁ…とも思う。案の定、読もうと思ってもなかなか読めない。貰ったのは一昨年の梅雨の頃で、もう2年近く何度もトライしたけれど、その度に駄目、読めない…となって本を閉じていた。そもそも、私は小説自体あまり読めない。そんな私が読もうとするのが無謀なのかも…。

 作者は南米コロンビアの出身。アジアは神秘的と言われることがあるけれど、私には南米こそ神秘的に見える。独特の熱と、濃密さと素朴さと、どこか圧倒的な陰鬱さを感じる。私はアジアと言っても、元来、日本は島国ならではの世間知らずの呑気さとおおらかさを持った国だと思っている。そして、こんな呑気な日本人の私には到底理解できない『何か?』に惹かれる。この本の魅力には、その土地が書かせた『何か?』もあると思う。

 そもそも、この本に興味を持ったのは、ある有名な一節に惹かれたから。

 何かのはからいだろうか?貰った本をパラパラと開くと、まさかのそのページが現れた。この本の元の持ち主も、この一節を好んで何度も読み返し、本に癖でもついていたのだろうか? 

小町娘のレメディオスは、十字架を背にすることもなく孤独の砂漠をさまよい、やすらかな睡眠と、きりのない沐浴と、時間のでたらめな食事と、思い出を知らない長く深い沈黙の中で、一人前の女に育っていった。そうして迎えた三月のある日の午後のことだった。

百年の孤独 ガルシア マルケス

 この後のレメディオスの姿にウットリさせられる。

 私が読むことを拒んでいたこの本が、不思議なことに、今年に入ってからやっと読むことを許してくれた。ただし、やっぱり濃密なので少しずつしか読めない…。先日もほんの数ページ読み進めて満足した。今日、3月6日はガルシア・マルケスの誕生日。読み終わるのは夏頃になりそう…。


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