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大人の本気に惹かれてしまう

 私は大人の本気を愛でる…という悪い趣味を持っている。多分、自分が本気には縁遠いから憧れがあるのだと思う。エレカシ宮本浩次に惹かれたのも『あー、この人本気だ…』と感じたことがきかっけだった。

 少し前に、YouTubeで哲学者・作家の千葉雅也さんの講演を見た。質疑応答ではnoteに書かれた『努力について』の質問があった。そして、そこで語られていた本気についての話がとても興味深かった。

 何か自分の手の届かないものに憧れて頑張るのは本当の努力じゃない。何かを目指し、憧れっぷりを競い合い、小競り合いをする競争から降りて、外のものに憧れなくてもこれでやっていける…と自分の手持ちにあるものでやっていくこと。

 例えば、絵がちょっと描けるとしたら、もっとちゃんと勉強しなければならないと思うかもしれない。ただ、それを追求していたら一生が終わってしまう。ある程度のところで自分に描ける絵はこういうものだからこれでやるしかない。それで食べていきたかったら、これを売るしかない。それを、どうやって売るか…というのが本気になること。

 もっと勉強すればもっとよくなるはずだ…というのはまだ本気になっていない趣味の域。勉強する気持ちや努力も大切だけど、本当にリアルに生きていく、それを商売にするってことを考えたら手持ちのものでやるしかない。

 とても納得のいく話だった。なかでも「手持ちのものでやるしかない。」という地味な言葉が持つ力強さに驚いた。

 そして、数年前にラジオ番組で聞いて心に残っていた宮本浩次の言葉が思い出された。『さあ、頑張ろうぜ』っていうのを色々な形の曲にしてたくさん作る。また、作った曲のうち何か『かすればいい』とも言っていた。私はこの言葉にドキッとした。自分が心血注いで作った楽曲はどれも1つ1つ大切で可愛いに決まっている。それを、こう言えるのは生業として本気で音楽と向き合っているからだろう…と思った。『伝えたい!』という熱い気持ちと同時に、甘い期待など持たず自分自身に容赦無いクールな眼差しを向けられる強さを感じ、努力は報われるという幻想を理解した上で、それを信念に出来るような人だと思った。

 やっぱり、本気とは生々しいもので、そこにその人の何かがキラリと見えてしまう。それは著名人だけでなく市井の人も同様で、キラリと見えてしまう時がある。自分の内に畑や庭を持ち、丹念に耕している人が居る。静かに、淡々と本気で何かに取り組んでいたり、暮らしている姿を見かけた時、直ぐにそれ自体がとても素敵で稀有なことだと分かる。社会だか世間だかの枠の中で何の疑いもなくボンヤリと過ごしてきた私は、そんな姿に羨望の眼差しを注いでしまう。


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