読書感想文の思い出。

子供のころ、読書感想文を書くのは得意だった。というか、文章を書くことに苦手意識がなくて、上手いか下手かは関係なく、書きたいことはどんどん出てくるので、そういう類の宿題を消化することに悩まなかった、の方が正しい。

中学生の頃いつものように読書感想文を提出した。自分としてはなかなか登場人物の心情を上手く分析できたのではないだろうか、と自信を持っていた。読書感想文の評価はいつもそれなりに高いので今回も褒めてもらえるのではと内心思っていたら、先生から返ってきた読書感想文にはお褒めの言葉はなく「あなた自身はこの本からどのような影響を受けたのですか?」とだけ書いてあった。衝撃だった。

え・えいきょう?本を読んで影響を受けることなんてほとんどない。
それが最初の気持ち。

それから「え、読書感想文って、自分がどんな影響をうけたか書くためのものだったの!?」という驚きがきた。

そしてその日から私の中に読書感想文への苦手意識が芽生えた。

実際のところ、ごく稀にとても自分と共鳴するものがあれば影響を受けることもある。好き嫌いが変わることもある。でもそんなのしょっちゅうあることじゃないし、たまたま読書感想文を書くために選んだ本が、私に影響を及ぼすなんて確率的には稀だ。

今私は残忍かつ叡智を持つ狼という崇高な存在について読んでいる。この本に書かれている、今まで私が見聞きしたことのない世界と生き方考え方精神誇り、それらは美しく、素晴らしく、私の世界を広げてくれた。それは、素晴らしく価値の高い「学び」とは言えるが、それに私自身の生き方が影響されることはない。というか、本を読むたびに影響されていたら正直大変だと思う。自分が今まで学んできたことと経験で構築した稚拙な哲学や生き方のようなものを本を読むたびに壊して再構築してたら軸ブレブレっちゃう?

と本日自分の中で結論を出した。あの時感じた疑問に。

とはいえ

私は感情を揺さぶるような本を読むとその感動や学びを、夜中にヤギのように反芻して噛み砕き何度も味わう(根っからの草食系なのだ)。そうこうしているうちにこの学びはどんどん細かく分解されて澱のように心の奥に沈殿し、それが溜まっていったとき、ひょっとしたら私の生き方の一部を構成することも、あるかもしれないし、生き方まではいかなくとも、ナポリタンスパゲッティを食べるときに使う前掛けくらいには私の心を支えてくれる存在になるのかもしれない。


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