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今に向かっていく勇気

半年ほどお休みしておりました。

お休みといっても、朝起きて子どもと遊び、仕事をし、ご飯を食べ、お風呂に入り、寝る。

あまり近くにいらっしゃらない方からすれば、ごく普通の暮らし、安定している暮らしを送っていたかと思います。

しかし、親しい方からは、もしかすると、
元気がない、やる気がない、勢いが落ちたなど、厳しいお声を頂戴するかもしれません。

今日は、この半年間の間どんなことを思い、どんな準備をし、これから何をやるのかについて、書きたいと思います。
夢や目標はあるけれど、なぜか前に進まない、自分に対してやきもきする、そんな方の支えになると嬉しいです。

半年間の苦悩

ちょうど半年前、ちょっとした心の動きから大切な何かが崩れかけていきました。

運営している中の一つである、介護施設で新型コロナウイルスの陽性者が多数発生しました。
結果から言えば、重症者などは発生せず、ことなきを得ました。

ただ、この時期を境に、自分が自分ではなくなるような、そんな感覚に陥りました。

新型コロナウイルス発生直後、私自身も濃厚接触疑いがあったり、
現場に入る時間を増やすなど、大きな変化を迫られました。

小さい子どもや還暦を超えた義両親のいる自宅から離れ、縁あってとある小さな部屋で1人、しばらく暮らしていく生活を余儀なくされました。

作業量が増え、ルーティンだったYoutubeライブは突然できなくなり、Youtubeライブができなくなったことすらも忘れてしまうほど、対応と対応により後ろ倒しになった作業に押しつぶされていました。

しかし、私にとって、本当の苦悩はここからでした。

コロナの一件が片付き、普段の生活に戻ろうかという時、身体に異常が起きているのを感じました。
異常なのか、はたまた正常に戻ったのか、真実はいまだにわかりませんが、確かに、
これまでの感覚とは違ったものを自分の中に飼うようになりました。

家に戻れない。

一歳半の誕生日を間近に控え、可愛い盛りの息子のいる家に、私は帰れなくなりました。
会いたくない、嫌だ、といった感覚ではなく、
毎日その場にいることを義務付けられているかのような感覚になりました。

子どもに会いたい。
感覚もリズムの合う、妻や家族に会いたい。

でも、帰れない。
帰りたくない。

私は妻に正直に伝えました。
多少の疑問は残るものの、大枠を受け入れてもらう形となり、
そこから、今に至るまで、半別居生活が始まりました。

自宅まで歩いて数分しかない場所に、私1人。
子どもにも週に何度も会っていますし、自宅に帰るときは、朝短い時間ですが一緒に遊んだりもしています。

自分の心に、力が戻ってくるのを感じました。
勝手なものです。
妻や家族には、申し訳ない気持ちを、ずっと持ち続けています。

ただ、シンプルに戻ってきただけではありませんでした。
その過程の中で、
今やっていること、これからやろうとしていること、それらは本当に自分のやりたいことなんだろうかと、立ち止まって考えるようになりました。

人間暇になるとロクなことを考えませんね笑
身に染みて感じます。

しかし、こじつけでも、私にとっては、その立ち止まる行為が自分の心の安寧のために必要であったと思います。

見えたもの

介護事業の行く末、学習支援事業の行く末、その他自分の役割や求められていることの行く末、
そのどれも、これまでと違って見えました。

こうしたい!
と思っていた、
しかしそれは、本当に自分のやりたいことなのか、
はたまた何か理性的な力によって向かわされているのか。

ちょうどその頃、介護事業で一番やりたかったことについて、会社の役員陣や近い仲間から、厳しい言葉をもらっていました。


覚悟が見えない。


その言葉だけが自分の頭の中に駆け巡り、苦しみと痛みと恐怖と虚脱感が襲っていました。


覚悟ってなんだ。


理解しようと思っても、わからない。
どういうことなのか。
わかるように説明しろや!
そんなことすら思うようにもなりました。


お前さ、覚悟とか、普通にあるっしょ?w


私が”オヤジ”と慕う(そう呼んではいない笑)ある人から言われました。
覚悟とかさ、どうせあるんだから、したいようにすればいいじゃん?

なるほど、自分には覚悟は元々ある。
介護事業で、学習支援事業で、社会に貢献し、「幸せを感じられる社会」をつくりたい。

目の前の生活における自分の不甲斐なさや、カッコ悪さに引っ張られ、自分が人生をかけてやりたいことにすら疑問を感じ、
勝手に苦しんでいたことに気づきました。

やりたいことだけ、やろう。
それを評価されるとか認められるとか、そんなこと昔から興味のないことだ。

わがままで意地っ張りで、不器用で、人ができることもできない、
そんなもんじゃないか、僕は。

僕の人生は、僕の人生、僕だけの人生。
その中で、大切にしたい人、ことを大切にしよう。

今と未来と、未来と今

僕は、今、楽しいです。

でも、前よりも、人から批判されることが増えました。

それでも、楽しいです。

介護事業は、多くの優秀で優しい仲間と一緒に仕事ができるし、一番やりたいと思っていたことも、実現できそうな予感がしてきました。

学習支援事業は、地域を主体として活動しているので、濃厚に応援してくださる方もいれば、大変に厳しいお声を頂くこともあります。
でも、それでいいと思っています。
批判が霞むほど、多くの仲間が必死に活動してくれています。

その他の活動も、1人でやってきたことはすべて無責任に手放し、
仲間と一緒に楽しく活動できることだけに絞りました。

仲間っていいもんですね。
友達っていいもんですね。


今、僕は目の前のことを楽しみ、頑張ろうとしています。
先のことなんて、そんなに考えていません。

こんなのでいいのかな。

そう不安に思うこともありますが、
僕のことを大切に、厳しく接してくれる”友達”は、
「いいじゃない?」
と言ってくれているので、信じてます笑

一歩引いて考えれば、
本当にそれいいのかもしれません。

やがてやってくる未来は、今の延長線上にしかありません。
突然やってくるものでもないし、与えられるものでもない。

今こそ、未来なのだと。
今そのものが未来で、未来そのものが今なんだと、
自分はそう感じています。

いずれ助けなくちゃいけない人のために、
今助けたい人を助けよう。

見えない未来に怯える必要はない。
今に、ただ今だけに向き合っていることだけで、すごく勇気を振り絞っているんだな。

今は少し、
自分にも、仲間にも、優しくなれた気がします。




<終わり>

シニアの方々が、主体的に・楽しく生活し続けられるよう、頑張ります!少しでもご協力頂けると幸いです。