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ライカが写せなかったもの

私がLeica M6をはじめて外に持ち出した日は、このカメラを買ってくれた母、その人のお葬式だった。


末期の癌で、もう残された時間はあまり無いと知った母は唐突に、長く使えるもので欲しい物は何かときいてきた。

何も思いつかなかった。思いついてしまったら、母がもうすぐ死ぬことを認めてしまうことになるような気がして怖かった。

母はそんな私に「ライカのカメラにすればいいね。」と言って、さっさとLeica M6とCarl Zeiss のレンズを買ってくれた。

母は写真を撮るのも撮られるのも得意ではない。カメラ自体に興味もない。

けれど、私が常々あれこれカメラを持ち歩いて、写真を撮っていたのは知っていたので、じゃあカメラ好きの憧れの「ライカ」がいいねと、思ったのだろう。

◇◇◇

手の中のLeica M6の佇まいは上品だった。

すこし癖のある方法に戸惑いつつ、どうにか1本目のフィルムを装填した。初めてのファインダーを覗き、側にあった何かにむけてシャッターを押したような気がする。

レンジファインダーカメラのシャッター音は、持っていたNikon FM2みたいに「カシャーン!」と元気な音を奏でたりせず、あくまでも「コシュッ」と。どこまでも静かで奥ゆかしいもの。

どんな写真が撮れるのか、少しずつ確かめていこうと思っていた。


◇◇◇


同じタイミングで、母は最期の時を過ごすのに、緩和ケア病棟に入院することになる。母は父と相談し、もういよいよという時には、ホスピスに入るということをずっと前から決めていた。

入院した病棟は、豪華で行き届いていて、部屋からの眺望も素晴らしかった。まるで高級ホテルのようだ。

こんな居心地の良さそうな場所なら、ひょっとして万に一つの奇跡が起きるんじゃないかしら。

病室に母が好きで食べられそうな料理を作って持っていったり、ベッドを囲んで家族でトランプやUNOをしたり。孫である私の息子が絵本を読んであげたり。お見舞いの人たちも皆のんびりしていた。

私はこの病室で母の手を握ったまま聴いた、アメイジング・グレイスの歌とハープ演奏を、一生忘れることはない。

全身に転移していた癌の痛みの合間にではあるけれど、母はここで、穏やかに笑顔も多く過ごせたと思う。

それでも私は、死にゆく母の姿を写真に撮ろうとは思えなかったし、母も撮られることをとても嫌がっていた。

このままずっと時間が止まればいいのに。もっともっとゆっくりしていけばいいのに。私たち家族はそう思っていたけれど、奇跡は起きることなく。母は10日も経たないうちに昏睡状態になり、次の日の早朝、あっという間に遠くに行ってしまった。

◇◇◇

お葬式は、病院に併設されているチャペルで行われた。

チャペルは荘厳で、高い天井まで届くステンドグラスの窓越しに美しい光がキラキラ降り注いでいた。お通夜の前にチャペルに飾り付けられた花々は「白ばっかりのお葬式っぽいお花はイヤ」という母の意向を反映して、明るく多彩だった。

ここだけ見たら、まるで結婚式のよう。

悲しくて、悲しくてどうしようもないのに、なんて美しいのだろうと、これを写真に残してみようか、と思ってしまった。

そして、次の日、葬儀が始まる前。
Leica M6をチャペルに向け、そっとシャッターを押した。

ああ、Leica M6のシャッターの音はこんなに静かなんだ、と思いながら数回、押した。もっと、もっと大きな音だったら、母が気づいて目を覚ましてくれるかもしれないのに。

こんなにも悲しい気持ちでシャッターを押したことは、後にも先にもない。

◇◇◇


しばらくして、Leica M6で2本目のフィルムも撮り終わった後、まとめて現像に出した。

現像所に受け取りに行くと「2本預かりましたが、1本まったくなにも映っていませんでしたよ。」と伝えられた。

「・・・あっ!」

思い当たるところはあった。2本目のフィルムを装填した時。巻き上げも巻き取りも、なんとなく、1本目と感触が違うなと感じていた。
1本目は、見事にフィルム巻き上げに失敗したままシャッターを空押しし続けていたのだ。


ライカは、母のお葬式の日を写せていなかった。

「私があげたカメラで、悲しい写真なんか撮らせないからね。」

そう、母の声が聞こえた。

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