見出し画像

あてみなげnikki

誰が興味あんねん!という誰得私的日記です。タイトルに自分の名前を付けるのが恥ずかしくなったので、今回からは「あてみなげnikki」とローマ字を添えてオシャんにリニューアルしました。しかし、内容は変わらず、あてみなげた思考の僻地をつらつら書き綴っております。

2021年も、よろしくお願いいたします。

1/5(火) 妹がHey! Say! JUMPに骨抜きにされていて最高。

お年玉は秒で全消費の妹と、これまで全貯金し続けている私。本年も、お互いの価値観には干渉しないスタイルでやってまいります。おねしゃす。

画像1

今年も妹は早速お年玉を使ったらしい。Hey! Say! JUMPのDVD3枚。そして、今日、やっと1枚目が届いたのだ。

我が妹は、Hey! Say! JUMP の熱狂的なファン。特に、伊野尾くんに関しては「キラキラしてないのが良い。とことん王道ではない感じが最高。大スキ。」と、テレビの前で指ハートを作っては、彼に愛を送りまくっている。よくわからんけど、とりあえずメッチャ好きなんだろう。想いよ届け、伊野尾くんまで。届いてくれ。

彼女は、大量のグッズを丁寧に部屋に配置し、DVDはメンバーの人数分×2回見る。つまり、16回。寝ても覚めてもjumping to my dream。そんだけ見ているので、ダンスも歌も面白いくらい出来る。

今年のM-1では、「インディアンスのネタ見たことあるやつで残念。おいでやすの爆発力に期待ですわ。」と、上沼恵美子もびっくりの辛口コメントを吐いていた妹も、相手が伊野尾くんならちょっとした小ボケで鼻の穴が裂けるほど笑っている。何回も何回も自分の中で反芻させて、小ボケの秀逸さを語ってくる。最近に至っては、「メンバーの手のひらを見ただけで誰か分かる」らしい。なんでや。

とにもかくにも、我が妹はHey! Say! JUMP が好きなのだ。大好きで大好きで仕方がないのだ。彼らのおかげで、妹の日常は確実に豊かなものになっている。毎日、幸せそうに笑っている。スキってええなあ。

好きなものができると、それだけで日々放てるパワー量を上げられる気がする。スキが故に、「誰かとこの良さを語り合いたい!」「広めたい!」「もはや私がこいつを生み出した!」と大布教したくなっちゃって、語彙力と表現力が飛躍的にアップする現象が頻繁に起こる。

私は、そういう人をみるのが大好き。マツコの知らない世界とか、アメトーークとか、本当おもしろいよね。ただ、実際、妹を見ていても、そういう番組を見ていても、なんでその人がそんなに夢中になっているのか私には理解できないことも多い。だけど、「スキだ!」と語りまくっている人の姿は、周囲に「やってみようかな」と思わせる力がある。新しい世界への一歩目を踏み出させてくれるパワーがある。

私自身、どれだけスキで救われたことか。今通っている大学だって、趣味のパン作りだって、最近やってるインタビューライターだって、わたしの心を豊かにしてくれているものの大抵は、誰かの「スキ」がきっかけで始まっている。

てっきとうなこと言うようだけど、人間って、なんにも考えなくてなくて、なんにも持ってなくても人の為になれているときがあると思う。本当はスキなものがあるだけで、人を救えているのではないか。

ごちゃごちゃ考えている時間あるんやったら、スキなことばっかりやって、それを大布教しまくる人生を送りたいぜBABY。

1/16(水) ごめんねコケッコー。

画像2

今日は朝からプリンを4つ買ってきた。
なんて幸せなの。

よく「ストレスたまると甘いもの食べちゃうんだよねぇ。」と話す人をみるが、私は典型的なソレである。大学に入って独り暮らしを始めてからは、ソレに歯止めをかけるものが一切なくなってしまったので、もはやストレスを抱えているから甘いものを食べているのか、甘いものを食べているからストレスを抱えていると思うのかも分からなくなってしまった。

ニワトリが先か卵が先かの理論を、こんなしょうもないところで用いているとは、ニワトリもさぞ腰を抜かしていることだろう。ごめんね、コケッコー。

なんじゃこれは。

1/7(木) ゾンビが脳裏を徘徊しているんだが。

今日は、9:00前に起床。昨晩母と見た「新感染、ファイナルエクスプレス」の余韻を夢にまで引きずってしまい、ちょっとテンション低めに目が覚めた。そのまま10:00頃までベットの上で平野啓一郎さんの「空白を満たしなさい」の上巻を開いて読んでいたのだけど、感染者のゾンビたちが私の脳裏をずーーーーーーーーーっと徘徊してらっしゃるようで、全然入ってこない(泣)

なんか、今日も明日もなんなら今月いっぱいは引きずってしまいそうで不安なんだが、どうしましょう。

こういう世界観がスゴイ作品、私はずっと考えてしまう。その世界に浸ってかなりの長旅思考をしてしまう。だめだ、これは誰かと一回真剣に語り合わないと永遠に抜けられないやつだわ...。新感染ファイナルエクスプレス見た人いたら、教えてください(いきなり)。

1/8 (金) 深夜になると急に小説モードになってしまう我が脳みそ。


昨日は、深夜2時くらいまで友達と話してしまい、お風呂に入ったのは3時くらいだった。間にある空白の1時間なにをしていたかというと、ずっとお風呂に入ろうかどうか悩んでいた。はよ入らんかい。

結局入って、湯船につかりながらTwitterを永遠に眺めていた。あそこは深夜でもネオン街の様に活発だ。ずっと飽きないがゆえにその空間に居続けてしまうと、いつの間にか目がちかちかしてくる。やっぱりネオン街のようだと思っていた。

どうでもいいけど、私の脳みそは深夜になると小説モードになってくる傾向がある。たとえ表現に、急にエモさを求めだしてくる。ネオン街とか、口に出したことないワードをあほほど浮かばせてしまう。全くしょうがない奴である。ただただ大好きなのだ、物語の世界が。浸りたいのである、物語の世界に。

年末、佐渡島庸平さんの「We are lonely, but not alone.」という本を読んで、孤独についてずっと考えていた。私は家族にも友達にも恵まれていたけど、なんとなくいつも孤独感を感じていた。多分、家族も友達も私の孤独を癒す対象ではないのだと思う。分からない、いなかったらもっと孤独だったかもしれない。実際どうなのかは何も分かっていないのだけど、そういう気持ちが私の中にはあったりする。

そんな時、物語は自分の孤独を癒す対象なのではないかと感じた。物語は実際には生きていない。私の気持ちなんてわかり得ようがない。でも、私は物語に出てくる人の気持ちが分かってしまったりする。ただ一方的に、こちらが相手の気持ちを分かり、共感が生まれたその瞬間に、自分が今まで感じてきた違和感が急に言葉になって自分に帰ってくる。それが、私の孤独を癒していた。変な話かもしれないけど、私の孤独はこういう風に癒されているんじゃないかと思っている。

佐渡島さんの本も、私の人生を大きく変えた。2020年最大の出会いのひとつだった。

あと、全然関係ないけど、今日の晩御飯の牛すじカレーが絶品だった。
母は偉大、と思った。


あとがき

日記にあとがきもなにもないけど、日記を書いていて思ったことをここに書き残しておこうと思う。

日記とはいえど外に出す文章というので、内容にはこだわりながら、そして、体裁も整えながら書いていた。今日は何を書こうかなーと思いながらこの四日間過ごしていたので、色んなことに対して敏感だった気がする。面白いことを逃してたまるか、という若手芸人のようなマインドを持っていた日々だった。楽しかった。

思ったけど、毎日noteを更新している人たちの感覚と文章力はどうなっているのか。仙人か。心身が研ぎ澄まされている。釈迦か。


この記事が参加している募集

ほろ酔い文学

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?