見出し画像

激戦区もチャンスに変える、伝説のゴーラーの「リアルサカつく」以上のもの:望月重良『全くゼロからのJクラブのつくりかた サッカー界で勝つためのマネジメント』


 神奈川県はズバリ、Jリーグ激戦区だ。Jリーグ創設の時点で川崎V、横浜F、横浜Mと既に3クラブ存在している。吸収合併による消滅や移転したクラブもあるが、現在も6クラブがひしめき合う、他の都道府県には見られない多さだ。国際色豊かな土地柄や、「王国」静岡と東京の中間地点であるなど、この理由はいろいろ深掘りが出来そうである。
 そんな激戦区に挑むのは望月重良が創設したのSC相模原だ。00年のアジアカップの決勝でのゴールで一躍スターとなった、岡野雅行と並ぶ「あのゴールの選手」として語られる選手である。引退後、相模原で出会った魚料理店の大将からの一言で自らクラブを起こすことを一念発起する。静岡出身で、キャリアの最後の2年を横浜FCで過ごしたことを除くと、神奈川とのゆかりはほとんど無い状態だったが、新しいスタートを踏み出すことを決意する。


 本の中でSC相模原創設を「リアルサカつく」と表現しているが、そんな簡単な話では無かったことはすぐにわかる。”サカつく”とは『プロサッカークラブをつくろう』という、セガから発売しているサッカーゲームシリーズの愛称だが、このゲームだって既に選手や運営体制がある程度用意された段階からスタートする。一方の望月は、なんとJリーグの事務局に電話して、「Jクラブを作るにはどうしたらいいか」と、質問したところから始めたという。ゲームで例えれば、もはやどのゲーム機を買えばいいのか電気屋の店員に質問しているレベルだ。……電話を受けた事務局のスタッフも、さぞ驚いたことだろう……。
 全く畑違いの場所からのスタートながら、マネーゲームには参戦しない、スポンサーに現場介入(選手起用への口出しなど)させないなど、SC相模原の指針を打ち出し、クラブを前進させていく。トヨタや日立のようなメガ企業を後ろ盾に持つクラブであれば、違ったアプローチもあるかもしれないが、ゼロからスタートした相模原はそうではない。自分たちの境遇で勝負するには、これが最善と望月が判断したのだろう。

〈僕が同情を捨てたせいで友達ではなくなった人間は大勢います〉(P.41)

 本著には仔細の書かれていない、あるいは書くことが出来なかった悔しい思いもした場面も多々あったと推測する。しかし望月はクラブが持つ可能性を信じて相模原のカテゴリを押し上げていく。



 やはり相模原となると、神奈川の既存クラブや都内のクラブもかなり商圏として近い。「カブってる」のは大丈夫なのかという、なんとなくの問いに対して、こちらは実に明確な答えを出している。
〈ライバルが多いことがまるでデメリットのようですが、それは全然違います。SC相模原にはメリットでしかありません〉(P.109)
 ダービーマッチを組みやすかったり、アウェイ観戦客を取り込めるなど、具体的なビジョンを示して「メリット」を話している。こちらも推論ではあるが、地元企業の奪い合いになってしまうようなこともあるだろう。しかしこうして視点を切り替えるポジティブな発想力こそ、望月が成功した所以なのかもしれない。


 第5章と第6章ではすこし時計を逆戻しして、望月がピッチに立っていたころに出会った選手や指導者の話になる。「ナナ」と呼び捨てにしていた高校の先輩の名波浩、三浦知良、ドラガン・ストイコビッチ、アーセン・ベンゲル、そしてイビチャ・オシムといった、世界を相手にしてきたサッカー人との交流が細かくつづられている。常に他人から学ぼうとしてきた望月が、他業種に飛び込むことを可能にしたルーツとも取れる。
 Jリーグが出来て約30年になる。世界的なキャリアを持った先人がJに来たり、日本から世界へ飛び出していく選手も多くなった。経験やノウハウも発足当初に比べれば、大幅に貯蓄されたはずである。
 ピッチ上に立つ選手が成長していくことはもちろん一番大切なことだが、そろそろ次のステップというか、その選手の環境を下支えする、指導者や経営者といった「ピッチ外」に立っているサッカー人も育んでいきたい。そして「ピッチ外」の成長は必ず「ピッチ上」の選手にも素晴らしい影響をもたらすはずだ。
 この本に書かれている望月のようなピッチの「中も外も」知る人間が、そろぞれの「懸け橋」となることで、より多方面で日本サッカーの伸びしろを引き出すことが出来ると私は考える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?