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ラジオに初めてネタメールが読まれた日

 最初に採用されたのは2016年でした。当時は大学4年生。就職活動中で、その日の朝も午後の説明会に向けて準備をしつつ、録音した「伊集院光 深夜の馬鹿力」を聴いていました。

伊集院光:「みやまるボルタ」

 大好きな伊集院さんが、自分の当時のラジオネームを言ったことがうまく理解出来ず、1.5秒くらい、「へえー、俺みたいなラジオネームのヤツもいるんだな」と思ったのち、「……いや、俺じゃん!」となりました。それくらいうまく理解できなかったのです。

 デビュー、といっても、たった1通でしたが、本当に嬉しかったです。『馬鹿力』仲間だった大学の後輩にもめちゃくちゃ喜ばれましたし、たった1通にもかかわらず、あまり交流の無かった方からも、「みやまるくん、採用されたでしょ。次、会ったら言おうって思ってたんだ〜」という、嬉し過ぎる言葉をかけてもらいました。

 そもそも自分の書いた作品を褒められるのは嬉しいですし、しかも心の底からリスペクトする、伊集院さんと紐付けて話してくれる。こんなに幸せなことはありません。
 note含めあらゆる文章は、「意外なところで、意外な誰かが読んでくれている」と実感することが多いのですが、これを初めて実感したのは、『馬鹿力』に読まれたあの1通だった気がします。

 伊集院さんはフラワーカンパニーズのファンだそうですが、『深夜高速』の歌詞の通り、「生きてて良かった」という感じでした。


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 その6年後の昨年の秋、『爆笑問題カーボーイ』を聴いていた時のこと。

太田光:「ラジオネーム、みやまる」

 「え? いま、太田さん俺の名前、呼んだよね?」。聞き間違いこそしませんでしたが、誇張抜きで瞳から涙がこぼれました。「絵本のコーナー」というコーナーで、自分の書いたネタに爆笑問題の2人がゲラゲラ笑ってくれました。こうやって今パソコンに文字を打ち込みながら、その当時のことを思い出して、ちょっとまたウルッときてるくらいです。

 自分がお笑いやテレビに興味を持った、そのスタートが『爆チュー問題』で、文学や映画、演劇に興味を持つようになったもの、かなり爆笑問題の影響が大きいのです。
 なので『カーボーイ』は是が非でも1回は採用されたいと思っていたのですが、簡単な道のりではありませんでした。『深夜の馬鹿力』は前回の投稿から、3回ほどは採用されていたのに対して、『カーボーイ』はいくら送っても0回というのが続いていました。
 直木賞作家の道尾秀介さんさえも、「『カーボーイ』に投稿しているが、採用されたことが1度も無い」という逸話を聞き、「『月と蟹』を書ける人が無理なら、俺なんて…」…と、諦めてしまった時期もありました。


 しかし昨年、生大喜利会への参加したり、その大喜利会で『カーボーイ』リスナーの方と交流するなど、再び『カーボーイ』熱のようなものが、ふつふつと再燃するのを感じました。
 いまの自分なら、少なくとも過去の自分よりは面白いネタを投稿出来るのでは。そんな気持ちでもう一度書いた結果でした。


 毎週採用されてるような方がいることを考えれば、まだまだ数えられるほどしか採用されていませんが、頑張って投稿を継続しております。
 採用されましたら、ぜひとも「みやまるさん、ラジオで読まれてましたね〜」と声をかけてください。短い一言ですが、めちゃくちゃ嬉しいです。
 自分としてもそう言われる機会が増えるよう、がんばります。

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