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中国起業物語

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中国上海に渡って20年、奮闘、中国人奥さんとの出会い、起業、会社売却に至るまでを綴ります。
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記事一覧

中国で起業したい人に送るいちばん大切な心構え-中国起業物語(17)

最初は留学で中国に渡ったものの、学生生活を終えるにあたって、中国で働くことを選んだ。その…

M-SHANG
1年前
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「楽して儲けようとするな」中国で教わった商売の掟-中国起業物語(16)

中国で会社を設立し、さまざまな紆余曲折を経て、日本企業に関する記事を新聞や雑誌から切り抜…

M-SHANG
1年前
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中国での新事業、人を雇い過ぎたら落とし穴に-中国起業物語(15)

【前回の記事】「新聞紙を破いて思いついた中国での画期的新ビジネス」  中国で会社を立ち上…

M-SHANG
1年前
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新聞紙を破いて思いついた中国での画期的新ビジネス-中国起業物語(14)

【前回の内容】「中国で始めた翻訳会社、初の新入社員がやって来た!」  中国で会社を立ち上…

M-SHANG
1年前
9

中国で始めた翻訳事業、初の新入社員がやって来た!-中国起業物語(13)

【前回の内容】「中国で地獄の翻訳事業、苛酷すぎてパソコン御臨終」  中国で会社を立ち上げ…

M-SHANG
1年前
9

中国で地獄の翻訳事業、苛酷すぎてパソコン御臨終-中国起業物語(12)

【前回の記事】「閑古鳥鳴く中国のクレープ屋、その致命的敗因とは?」  何も事業を決めない…

M-SHANG
1年前
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閑古鳥鳴く中国のクレープ屋、その致命的敗因とは?-中国起業物語(11)

【前回の内容】「確かにそうだ!中国人妻がついに発見した経営の真髄」  中国で会社を立ち上げ、シルバーアクセサリーの取引に目を付けたが、展示会にも足を運び、妻の友人を頼ってみたものの、芳しい成果は得られなかった。その中で、自分たちには気合いや必死さが足りないことに気づき、ようやく本気モードのスイッチが入り、次は「クレープ」に目をつけたのだった。 クレープ屋という狙い  次はクレープ。当時はそれなりにいろいろ考えた末に出した結論だった。  中国の人は肉まんに野菜まん、「饼

確かにそうだ!中国人妻がついに発見した経営の真髄-中国起業物語(10)

【前回の内容】「僕を中国で本気にさせてくれた中東の男性の励まし」  家内の後押しと勢いで…

M-SHANG
1年前
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僕を中国で本気にさせてくれた中東の男性の励まし-中国起業物語(9)

【前回の記事】「あなた社長になりなさい!中国人妻が僕に命じた起業」  張さん(仮名)の日…

M-SHANG
1年前
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あなた社長になりなさい!中国人妻が僕に命じた起業-中国起業物語(8)

前回(「異国で底辺の男が中国の女性と結婚という話」)は、起業の際に背中を押してくれた妻と…

M-SHANG
1年前
8

異国で底辺の男が中国の女性と結婚という話-中国起業物語(外伝)

日本語学校で月給1500元という、当時の中国の人でもかなり底辺な部類に入る生活をしていた僕だ…

M-SHANG
1年前
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中国でチョコパンに耐えかね副業したらどうなったか-中国で起業に至った道のり(7)

新しい日本語学校を立ち上げるという張さん(仮名)の猛烈なスカウトに負け、新たな職場へと移…

M-SHANG
1年前
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中国人社長の熱すぎる説得で日本語学校の職員に-中国起業物語(6)

中国での留学生活の終わりに、日本語学校で働くことを選んだ自分。授業にも慣れてきて順調にも…

M-SHANG
1年前
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「ええっ?これ?」 中国の消防士、目が点に-中国起業物語(5)

中国での留学が終わる頃、日本語学校の教師という職を手にして、路頭に迷うことはなくなった。しかし、それで安心したのもつかの間、私生活でも事件は発生したのだった。 “カレー曜日”に起こった事件  今でこそ上海は日本食レストランが山のようにあって、食材やら調味料などもどこでも手に入るようになった。しかし、2000年当時は日本食というのはなかなか貴重だった。そのため、何かの折に日本に戻った際には、いつも調味料やインスタント食品を大量に買い込んで持って帰っていた。  決して高くは