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死に向き合う

約3年前の中学3年生の時、毎日「死にたい」と思って過ごしていた。毎日自殺の仕方を調べて、寝落ちする直前に「あぁ、今日も死ねなかった」と思いながら1日を終える。当時は本当に鬱状態で引きこもりの昼夜逆転の生活だった。この時期は本当に辛くてこの状態がいつまで続いたのかは分からない。

月日が経ち、私は高校3年生になっていた。春からは大学生になる。この3年間で前を向き、将来の夢を持ち、鬱状態は抜け出したものの、ずっと私の中にいる誰かがこう言ってる

「今もまだ死にたいって思っているんじゃないの?」

少なくとも今の私は中3の自殺を考えていた鬱期と比べると死から遠い場所にいると思っている。ただ、その距離は他の高3と比べると私の方が死から近い場所にいると思う。鬱期を乗り越えた私の土台には

「死ねなかったから生きている」

が埋まっている。あの鬱期は私の人生の中(まだ18年だけど)で最も辛い時期だった。あの苦しみはあと10年は来ないだろうと思っているし、この先の人生の中で一番辛い出来事で居続けて欲しいと願っている。この人生で一番辛い時期で死ねなかったなら、自ら死を願うことはできないと思っている。死の恐怖を乗り越えられない人間、臆病な人間だったのだ。

鬱期(中2の終わり〜中3)

「どうして自分は生きているのだろう 消えたい」

この気持ちが一番大きかった気がする。自分の病気の症状を理解してくれていると思っていた担任は全く理解していなかった。怒鳴られたあの時何を言われたのかは分からない。だた、あの時に傷つけられた傷は残り続けている。恐怖と悲しみとして。鬱になった原因は今でも分かっていない。自称進学校の課題の量、月2の休みしかないブラック部活、思春期の人間関係。全てが少しずつ自分を蝕んでいったのしれない。結果私は自分というものがわからなくなった。見失った。自分が誰なのか分からなかった。心療内科に行き、薬をもらった。最初はよく効いた。日が経つとその薬は自分の体に全く合わなかったのだろう。鬱状態がもっと酷くなった。

全く寝れなかった。睡眠薬も効かなくなった。友人からの「なんで学校に来ないの?」のメッセージに苦しんだ。前を向いても真っ暗で何も見えなかった。気づいたら後ろも何も見えなくなっていた。楽しかったことも嬉しかったことも全て忘れてしまった。「消えたい」という気持ちは「死にたい」に変わった。

鬱期からの脱却

鬱期がどれほど続いたかは覚えていない。親に聞いたらわかるのだろうけれど、聞かない。聞かないほうが幸せでいられる気がする。

鬱期を抜け出したのはあるゲームだった。そのゲームのストーリーの続きが読みたくなって、それまで生きてみようかなと思ったのだ。そこでやっと前が少し明るくなった。すぐに消えそうなロウソクの灯りはやがて太陽の近くにいるような大きな光となった。生きる理由を作り続けていたら鬱期を抜け出していた。そして自分は死の恐怖を乗り越えられない人間だと悟った。

脱却後〜今

自分が死ねないと分かってから生きるしか道はないと気づき、前を向いて再び歩き始めた。前を向くということは、未来を見るということ。進路を決め、通信制高校に入学した。部活も1年間活動した。嫌なこともある程度流せるようになった。人格も変わった。角が削れて丸くなった。ただ、感情が欠落した。鬱期で肉体は死ねなくても、心は1回死んでいた。

もし、この先鬱期よりも酷い苦しみが訪れた時、私はきっと死を願う。そして、次こそはきっと私の中の誰かに言われるだろう

「死にたいんでしょ?死ねばいいじゃん」

私の第六感は「天寿を全うし、この先70年は生きる。死の恐怖はきっと死ぬ最後まで持ち続けて死ぬ。自殺の手段を取ることはない。」と言っている。

けど、自分が弱っている時に誘われたら、絶対に誘いにのらないと言い切れない。私も理解している。だから、今も死にたいと心の隅で思っているし、誰かもずっと私に問いかけてきている。ずっと機会を窺ってきている。

結論

きっと私は死を迎える時まで

「死にたいんでしょ?死ねばいいじゃん」

と私の中にいる誰かに聞かれ続けるのだろう。ある意味死と隣り合わせで生きていくのかもしれない。

未来に対しては不安も期待もない。何も感じていない。見えても数年先までだから遠い未来のことなんて何も考えていないし、理想や希望も持っていない。

これは私の心が死んだから起きていることなんだろう。

「人生とは?」

と聞かれてよく出る答えが「死ぬまでの暇つぶし」っていうけれど、私はしっくりこない。ただ、新たな答えをうまく言語化できない。この答えを見つけた時、私の心は小さい頃未来に希望を持っていたあの時のような輝きを放てるだろう。


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