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「いなせ」に生きる。

「どうせ燃やされるんだから今燃えよう」とその人が言う。私は今日、その人と衝撃的な出会い方をした。今日この人と出会ったのは、なんの示し合わせもなく、たまたま行きつけのバーでのことである。

昨日今日とワークショップ公演があった私は、打ち上げを終えて最寄駅に戻り、へべれけでよく通っているバーに向かった。昨日は三連休の初日のせいかお客さんにあふれ一杯だけビールを飲むに留めた店に訪れると、なか日(日曜日)の今日はやや空いていた。入店してすぐ店奥の客が会計を済まし客が私だけになり店のバーテンダーたちと世間話をしていると、30手前のお兄さんを連れてその人は現れた。

最初は彼らの話を盗み聴いていたが、その人が「ハーパーは冬の味がする」と言ったその人の言葉を聞き、つい声を発してしまった。「私もハーパーは大好きです。」と。
長い間付き合っていた人がI.W.ハーパーソーダーを好んで飲むのに倣って注文するうちに好きになってしまったハーパーの話題に、ついつい乗っかってみてしまったのである。

I.W.ハーパーはUSバーボンウイスキーブランド。

出典:Wikipedia

私がかつて彼氏と呼んだ人(一樹さんという人)は、よく飲みにいくお店でハーパーソーダを頼んでいた。真似して飲んでいるうちに、私は恋人と呼ばなくなってから今まで、どんなバーに行ってもハーパーソーダを頼んでしまうようになった。

そんな一樹さんの言葉を聞き齧っただけの知識で、その人に会話をふっかけた。ある意味チャレンジングだった。その会話が今日このテキストを寝ずにしたためることになるほど、私にとって大切な機会になることはその時知る由もなかった。

その人とウィスキーの話をひとしきりする。アイラウィスキーのラフロイグのラベルが一新する話になると、その人は連れのお兄さんに向かって「響 -HIBIKI」というお酒について「ラベルがもしも「響」の文字より「HIBIKI」の文字が大きかったら価値がグッと下がるだろう」と話した。そして、それが転じて、ブランディングと資本主義の話に広がる。

私が「商業」と「人生」は切り離された方がいいのではないかと言ってみた時、その人は「生きることは、いろんな関係者と相互的に励まし合うことだ」と言った。そしてそれは、生きることが活きることになる瞬間だとも言った。

その人は、青春を野球部で過ごした人だった。スタメンではなくベンチだったその人は、しかし場の空気を自チームのものにするために声を出すことを学んだと言う。
「三つ子の魂百まで」ということわざを引き合いに出し、今では児童虐待・ハラスメントと呼ばれてしまう経験を経て形成された自身のことを語ってくれた。人と人は、世の中的にアウトだと言われてしまうような深い関わりから助け・助けられることを学んだというその人の言葉に、一つも曇りはなく、明瞭な思想なようだった。

「どうせ燃やされるんだから今燃えよう」と、続けてその人は言う。土葬がマイナーな日本において、人生の最後は火葬されることだと決まっているなら、能動的に燃えようとその人は言った。私が受け取った限りのことで言えば、自身を焚き付けて、そしてずっと渦中にいようという話のように聞こえた。私なりの言葉になるが、その人は始終「ずっと自分の人生の当事者でいよう」と主張していたように思えた。

その人は釣りに例えて話してくれたが、「イワシ漁に出た時、新米の漁師が網を引き上げることを3回サボったとする。するとその3回サボらなければあげられた利益(決して少額ではない)を、他の漁師たちは責めるだろう。売上が、収入が、生活がかかっているのだ。その若手が1時間の内3回引き上げることを諦めなければもっと稼げたかもしれない。その時、先輩の漁師はどんな対応をするだろう?その時、「精一杯網を引け」と強く迫ることは、ハラスメントとなのだろうか?それとも正当なものだろうか?とその場に問う。

自分の人生を生きることは、自分の利益に正直に、怒ったりすることができることである。自身の年収に関わる漁で、例えば200万もの損失があると感じた時に人は冷静でいられるのか?その時にコンプラ的に問題のない対応することは果たして可能なのか?と、その人は力強く私たちに問う。

私はうまく答えることができなかった。例えばハラスメントなんて言葉がない頃に幼少期を過ごした私が私自身を好きになろうとすることは、私がさらされてきた環境を丸ごと肯定する作業でもある。倫理的に令和5年度には許されないことが、私自身を形作っている。そんな難しさの話をその人にすると、このように返された。「人生なんてショーなんだよ、まやかしの中で・ルールや規範の中で生きていくしかないんだ。」

お金が動くこと・働くこと・誰からか評価を受けることなんてのは、全て仕込みのあるショーでしかないのだと言い放つその人の言葉に、私はすっかり虜になった。

やがて連れのお兄さんが沖縄出身だと言う話になると、今度は広島・長崎・沖縄という戦後の残り香が色濃く残る場所の話になった。沖縄には「出る」と言われる場所が複数あり、その場所の話になった。
転じて、どうして広島は戦争体験を観光地化できているのか。沖縄にとっての「第二次世界大戦」とはどのように違うのか。そして長崎では現状どのように戦時中のことが扱われているかという話になった。

語り部二世という形式に踏み切った広島は、その三都市のなかでも異彩を放っている。原爆ドームは後に世界遺産になり、今ではすっかり観光地だ。観光地化することによって低い精度で戦争体験を焼き増し、今では悲痛な体験もアウトラインと化した側面があるのではないかと私は思っている。そしてそれは、「人生なんて・社会なんてショーなのだ」という力強い個人史に背中を押される形で現実を帯びてくる。人生が・社会がショーだとするなら、原爆を落とされたことも、復興作業も全てショーなのだろうか?広島はそれをショーとしていることをどう思っているのか。辛い歴史を持つ土地は、これからどのようにその過去と向き合ったらいいのか?そんなことを考えた。

そんな話をしている最中、尿意を感じてトイレに立つ。トイレに行っている間、その人と連れの人は二人だけのパーソナルな話題に戻る。私は席に戻り、できるだけ耳を傾けないよう努めて店員と話をする。

その後どんな過程があってその話になったかは覚束ないが、次第に話題はSNS・特に動画メディアを扱うYouTube・TikTokの話へと移ろう。
その人は朝方6時までTikTokを見てしまうくらいにご執心だという。私は、たくさんの意見がありつつもその人の言葉に耳を傾ける。たくさんのショート動画(1分未満の動画コンテンツ)を発信する人の、動画に映らない人生や考え方を探るように見てしまうのだと語ってくれるその人は、真にTikTok世代の人々と同じことを思いながらショート動画を漁るように見ているのである。

話の中でその人は、ブレイキングダウンがコンテンツ化されたことの背景について、今の東京にブレイキングダウンがないからこそだと言った。「俺の時代にはブレイキングダウン的な生活があったのだ」とも。これは、ヤンチャな子供たちの必死に作った物語が最早コンテンツとなったのだという話でもあった。広島が原爆ドームをコンテンツ化したようなことにも通づることがあるだろうと私は思いながら聴いていた。

YouTubeゃTikTokのことを、その人は「店」と呼んだ。私たちがたまたま出会ったバーに例えながら、それは人生をインスタントに覗き見る場所なのだと言う。レコメンドエンジンによってオススメされた動画を見ていく果てに無数の人生を想像させてくれることが、その人が執心する理由だった。たまたま出会ってしまうことを演出してくれるレコメンドエンジンは、この世というショーを生きようとする「私」の一助になってくれる。動画に映らない人生のディテールを想像することが、どう定義されるのかをその人は考えていたように思う。

「粋」じゃなくて「いなせ」に生きよう。粋であることはスマートで、客観的な視点に比重を置いて生きることである。対して、いなせな人生もまた、無骨だけどかっこよくて素敵なのだとその人は説く。
コミュニティの中で、疎外されない振る舞いを演じること。権力者の前で、長いものに巻かれない姿勢を見せること。それを実践していくことで、自身が権力を持つ位置に立ってしまうこと。そんな矛盾した立場と損なわれた権利を忘却せずに思考して生きること。その営みを真摯な人生と呼ばずなんと呼ぶのだろう。

その人ほどに実直で、力強く、しかし柔軟で強かな人と私は出会ったことがない。どう生きるか?他者がどのように生きるか?思想や意思が交差するこの世の中で、その人は足掻いて生きていたのだろうと思う。

粋な人は、もちろんスマートでかっこいい。対していなせに生きることは若干の無骨さがありながら、しかしアクチュアルな視点であるのかもしれない。悩み、もがき、若者のように芯を突き通すために、常に自分の人生の当事者であろうとする心意気を探求する。TOKIO風に言えば、私のオールを誰かに任せないことなのかもしれない。

感性も、感覚も、感情も、振る舞いも、選択も、自分以外の誰にも決めさせない。その力強さが悪い意味での頑固さにならないまま生きていける人がどれほどいるのだろう。そのバランスの取り方も、私はその人に学ばせてもらった。


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