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「宮森みどり」、1歳の誕生日なので爆誕秘話を書き残す(後編)

この文章の前編は、下のリンクからお読みいただけます。

酒を飲んだ夜につけた「宮森みどり」という作家名。愛着なんてあるわけもなく、だけど思い入れのないカジュアルな感じは好きだった。

深い意味も由来もないし、決め手はググったときに自分以外がヒットしないことだけ。
実際に調べてみると、SHIROBAKOというアニメの「宮森あおい」「今井みどり」というキャラクターについて書かれた記事がヒットする、気の抜けた感じも気に入っている。

この名前にもにも慣れてきた頃、私の創作活動と、本名以外の名前を名乗ることがどこかで繋がっている事に気がついた。
「自分以外の何かを演じる作品を制作するパフォーマンスアーティストです。」なんて自己紹介に書いてるやつが、自分の本名じゃない名前を名乗って暮らすことは、理に適いすぎているくらいだと思うのだが、どうだろう。


宮森みどりを名乗って生活することで得られたもの

LINE・instagram・Twitter・Facebookの全ての名前やIDを宮森みどりに変えると、最初は「これがホントの人間関係リセット!」みたいな思いが頭をよぎった。

例えば、名前を変えた状態で昔私に意地悪してきた人をフォローしても、相手にはそれが私だなんてバレないんだから、こんな自由なことはない。
本名で受けている仕事のクライアントにだってバレやしない。

有名人と同じ名前だから検索にも引っかかるまい、とほとんど全てのSNSを本名でやってきた私にとって、ネットでもリアルでも匿名で行動する感覚はとても自由に感じた。

リアルでも、宮森みどりだと名乗った相手に必要以上に気を使わなくてもいい気がした。悪い印象を抱かれたとしても「宮森みどり」への評価が落ちるだけで、私自身とはどこか無関係なものにも思えた。
だって所詮私は自称・宮森みどりなわけだし…。

この自由さを手にした私は、こんなことを思った。『素直に・正直に生きてみよう』と。

素直に・正直に生きるって何だ?

あるある話だとは思うが、自己肯定感が低いくせに他人には好かれていたい人間は、八方美人に振る舞うのが常である。
もちろん私も例に漏れず、そのように人間関係を築いてきた一人である。

だけど私はある人の言葉をきっかけにそれをやめることになる。

求められ続けないと消えてしまう「私」との決別

八方美人すらままならなくて困っている時期、私は約1週間の旅行をした。

そう、八方美人に振る舞うことすら私はうまくできなかったのだ。その一瞬一瞬は八方美人を演じることができても、結局しばらくするとボロが出てしまうようなレベルだった。

旅先では誰も私のことを知らなかった。
だから、いつもより大胆な言葉が喉を通って出てきた。
誰にも喋ったことのない話を沢山した。
その時間の全部がとても楽しく、幸せだった。

その時尊敬する人に言われた一言、「愛を持って人と接することが大切」という言葉が今もズシンと心に残る。

自分を押し殺して過ごしてきた私は、眼の前の人を本当の意味で愛したことがあったのだろうか。

誰かと一緒に過ごす部屋で、ただ「暑いから冷房をつけても良い?」とすら聞けない私は、私のことも相手のことも大事にしてなかったのではないか。
ただ嫌われないために過ごす時間のすべてを精算しなければ相手にも失礼だな、と思った。

だから、私は素直に思ったことを口にするよう努めることを誓った。
本名を名乗っている間はできなかったかもしれないけど、幸い今は宮森みどりという別の名前がある。
宮森みどりとしてなら、素直に正直にいられるかもしれない。そう思った。
だからこの名前に、八方美人を辞めることを誓った。

精算をし、自分自身を取り戻す

その精算は、寂しくて辛くて、だけどこれまで自分にも他人にも向き合ってこなかった罰だと思った。

泣いたりもしたけど、でも相手に否はないから諦めもついた。全部、私が招いた結果だった。

それから私は、習慣化した八方美人をデトックスするために以下のことを始めた。

  • お願い事や用事に誘われた時、とりあえず「うん!わかった!」と返事をすることをやめ、本当にその誘いを受けたいかどうかよく考えてから返事をする

  • 何かを言われた時に、とりあえず「ほんとそうだよねぇ」と雑に共感することをやめ、一旦考え直してから返事をする

  • 好まない・聞きたくない話題に巻き込まれた時、ヘラヘラニコニコせずにすぐにその場を立ち去る

  • 嫌なことには嫌だと言い、興味がないことには興味がないと言う

  • これらを実践していった結果、今まで親しかった人と距離ができても、それは今までの私が悪かったと認め、必要以上に悲しまない

結果から言うと、その全てが効果アリだった。
私は思春期特有の無敵状態に似た、遅咲きの狂い咲きの自分らしさに邁進し始めた。

嫌なことをやめ、赴くまま過ごす

嫌なことにNoを言うようになって初めて、自分が苦手なことを知った。

例えば他人の家に上がること、例えば冗長な恋愛相談、例えば無意味な連絡。ほかにもいろいろ。
これらを躱したり無視したり逃げているうちに、だいぶ息がしやすくなった。

そうすると、逆に発言や行動を自分で抑圧しなくて済むようになってきた。
会いたい人に会おうと連絡するか迷うことも、困った時に相談して良いものかとうじうじすることも減った。嫌なことに嫌だと伝えられる場面も増えた。

断られるのを怖がっているより断られる方が早いし、他人のリアクションを無意味に想像して萎縮するよりずっと清々しい気持ちで居られる。

こんなに身軽な気分になったのは久しぶりだ。以前よりずっと、自分の言葉で喋れている気がする。

余談
こんなふうに過ごしていたら、これまで小さかった自我の声が大音量になって、今作っている修了制作にも影響してしまいました。修了までに調整します。

まとめ

こんなにも長々と書いたけど、まだまだ格闘中です。今までやったことがないことの連続で、ひとつ誘いを断るにしても言い方がキツすぎてしまったり、逆に断っているのが伝わっていなかったり、なんてことが起きたりします。

内省的な話が続いてしまいましたが、今後は振り返って反省することが減るよう、実直に過ごしていきます。これからもよろしくお願いします!

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