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言い訳をするなという言葉は嫌いだ

「言い訳をするな」という言葉は嫌いだ。この言葉は基本的に格好良い言葉であり、これを言う事は基本的には正論を言っているものとして、世間から認識されているだろう。

万能な言葉過ぎる

私がなぜこの言葉が嫌いか。これは相手の言葉の文脈も何も無視して一言で、大抵の話し合いをぶった斬れる万能な言葉だというのがある。
基本的に世間は、この言葉を言った者を正しいとし、言われた者を「言い訳をしてる見苦しい者」と認定するだろう。

そしてこの言葉を言われた者は、その後は正当な説明をする気も全て失せてしまう。たとえ誰もが「言い訳ではない。正当な説明だ。」と認める説明だって、できなくなるだろう。
何事もやってみる前から諦めるなとかいうが、言い訳ということに関しては「するな」と言われているわけだから、やってみる前から諦めなければならないこととして、その人の脳裏には刻まれることにあんる。

この言葉を使う者にとっては、万能すぎて、単なる思考放棄を格好良く通してしまえる危険な言葉だ。

何が言い訳なのか、言い訳でないのかなんて、曖昧この上ない

だがもっと大きな理由は、何が言い訳で何が正当な説明なのかなんて、環境と立場によっていくらでも変わるいい加減なものだからだ。

その例の1つとして、
・コミュニケーションは口頭が全てという人(口頭派) と、
・形に残るテキストコミュニケーションを重視する人(テキスト派)
の意見対立から考えてみる。

口頭派「口頭で言わなきゃ何にもならんだろうが。テキストメッセージを送りましたとか、つまらん言い訳をすんな。」
テキスト派「口頭で言われないとテキストメッセージなんか読まないなんて、そんなのが通るわけないだろうが。つまらん言い訳をすんな。」

口頭で言われなかったからメッセージを見ませんでしたなんていうのは、私から言わせればつまらん言い訳の極みだ。そしてそんなことを言う人間は、私の現職ではとても通用しなくて、3ヶ月と保たないだろう。

でも私の前職までは、その言い訳は普通に通った。これが、環境の違いで言い訳認定されることも変わるということだ。
そして、立場の高い者がそれを言えば、テキストメッセージだけ送って電話などを口頭で追加して伝えなかった私が、一方的に悪いということにされた。

その他にも、立場の高い者が、自分の注意不足などを悪かったと認めず完全に逆ギレし言い訳して、こちらのせいにしてくることを何度も見てきた。それらはもちろん、彼らの立場の高さゆえに、周囲の誰も咎めることができず、そのまま通されてきた。

同じことをやって同じ弁解をしても、立場の低い者がやったら言い訳とされる。立場の高い者がやったなら、それは言い訳とは言われず、適正な部下への指導とすらされる。
「言い訳をするな」などという言葉なんてそのくらい、いい加減なものだ。


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