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パレスチナの民族自決権を明確に支持していた日本の政治家たち

 国連総会は27日、イスラエルとパレスチナのイスラム組織ハマスに、「人道的休戦」を求める決議を行ったが、日本は棄権した。イスラエルが人道的休戦に反対する理由はハマスに対して攻撃を継続したいからで、同盟国のアメリカはそれを支持した。日本は人道的休戦に明確な棄権する理由もなく、アメリカに気兼ねすることなく、公平な立場を明確に示し賛成でよかった。アラブ・イスラーム世界の人々は日本の投票行動を注視していることだろう。フェイスブックの友達からもガザの子どもたちの希望が見えないと悲観的になっていることを聞かされるようになったが、日本は、イスラエルとハマスの戦いに巻き込まれているガザの子どもたちに希望を与える立場で常にいてほしいものだ。画像を見るとガザの子どもたちは本当に気の毒な状態に置かれている。

伊東正義氏、森光子さんと https://books.bunshun.jp/articles/-/3520

 日本の国会議員たちハマスとイスラエルの戦争、ガザの問題などについて尋ねてみたいものだ。最近は国会議員たちからパレスチナ問題に関する見解が聞かれることが少なくなった。昨日、フジテレビの「日曜報道THE PRIME」に出たら、橋下徹氏、国会議員の佐藤正久氏ともに、イスラエルの占領地における入植地拡大は国際法に違反し、反対だと述べておられた。

 1970年代から80年代にかけて日本の政治家たちはパレスチナの民族自決権を支持する姿勢を明確にし、日本の立場は中東イスラム世界では評価されてきた。

 日本政府は、イスラエルの占領地からの撤退を求めた国連安保理決議242号を一貫して支持してきた。

https://miyataosamu.jp/japanese-politician-who-supported.../

パレスチナの民族自決権を支持した日本の政治家たち - 宮田律の中東イスラム世界と日本、国際社会パレスチナの民族自決権を支持した日本の政治家たち 近年の日本の総選挙では、外交・安全保障問題は大きな争点になっていない印象だ。特に小選挙区制になって地域的にも 近年の日本の miyataosamu.jp

 


 たとえば、1980年9月23日、第35回国連総会一般討論において伊東正義外務大臣は、「我が国は,公正かつ永続的な中東和平の実現のためには,イスラエルが67年戦争の全占領地から撤退 し,かつ国連憲章に基づき,パレスチナ人の民族自決権を含む正当な諸権利が承認され,尊重されなければならないと考えております。(中略)我が国は,最近のパレスチナ自治交 渉の停滞と西岸情勢の悪化を極めて憂慮しておりますが,その一義的原因が占領地におけ る入植地の建設,東エルサレムの併合措置等イスラエルの占領政策に起因していることは、非常に遺憾なことであります」とイスラエルへの強い批判の思いをにじませた。

 下は、「オリーブの樹」126号に掲載された重信房子さんの獄中「日誌」からだが、俳優、ジャーナリスト、参議院議員であった山口淑子さんのイスラエルの占領で抑圧されてきたパレスチナの人々への共感に触れることができる。少々長いが引用しよう。

『(2014年)9月14日 夜のニュースで山口淑子さんが9月7日に心不全で亡くなられたことを知りました。思わず黙祷を捧げました。

 山口さん最初に接したのは、71年3月突然のベイルートPFLP事務所への国際電話でした。「“3時のあなた”の山口淑子と申します。赤軍派が仲間を殺しました、ご存知ですか。山田孝さんが殺されました。あなたのご意見を聞かせて下さい。」たたみかけるような情報と質問。これが私が日本で「連合赤軍事件」が起きたことを知る第一報でした。

 そしてその後インタビュー取材で何度か訪れる山口さんと73年に会いました。インタビューもしました。

 また生い立ちを語ってくれ、45年日本敗戦後は死刑判決を中国で受けそうになったこと、日本人なのに中国人として生きてきた罪や苦しい矛盾、戦後日本人として生きていく中でも決して昔出会った中国の人々の寛大さを忘れないこと、自分を時代の加害者でありまた犠牲者と思えば思うほど、パレスチナのように虐げられた人々の何かに役立ちたいと思い続けていることなど、語っていました。「パレスチナ解放を助けてほしい、私は私たちの方法で、山口さんは山口さんの方法で!」そんな話を私もしました。

 その後もずっとパレスチナ問題にかかわり、参議院議員として「パレスチナ友好議員連盟」を木村外相や宇都宮徳馬氏らと創り、「アラファト訪日」も実現して活躍しておられました。

木村俊夫氏はハンフリー・ボガートに似ているような気がした https://www.town.toin.lg.jp/contents_detail.php?frmId=102

 その間も励まして下さったこと、そして私が帰国逮捕後は何度か東拘にも面会に来て下さり、物心両面でずっと支えて下さったこと、感謝ばかりです。私への面会などが大っぴらにならない方がいいのでは……と思っていた私に「あら、平気よ。こないだ日経新聞に連載した“私の履歴書”が本になったけど“はじめに”で私あなたとの面会のこと書いてますもん。本も差し入れましたよ。」とニコニコ笑っておられました。80才を過ぎても昔と変わらずあまりにも若く美しいのには、東拘(東京拘置所)の係員たちも驚いていました。

 数奇で困難な死線も屈辱もそしてまた数々の栄光も受けとめて、しなやかで強い意志を育てた山口さんだから、私の様々の困難や喜びを分かろうとして下さったのだと思います。国境を越え異なる民族の人たちと家族のように共に闘い続けた私には、あなたの生涯はとりわけ共感し学ぶことが多くありました。本当の強さを持ったあなたの華のような生き方に敬意を表し心から哀悼を捧げます。いつも支え励まして下さったこと忘れません。ご冥福を祈ります。(後略)

https://blogs.yahoo.co.jp/meidai1970/32446388.html

 1973年11月に来日したキッシンジャー米国長官は田中角栄首相に、前月に発生した第4次中東戦争で親イスラエルの立場をとるように促したが、田中首相が「日本は中東の石油に依存している。かりに中東からの石油供給が止まれば米国が代わりに日本に輸出してくれるのか」と切り返したら、キッシンジャー国務長官は無言だったという。

 日本に日本パレスチナ友好議員連盟があり、宇都宮徳馬、木村俊夫、伊東正義などの気骨ある政治家たちがその会長であった1970年代から80年代までパレスチナの民族自決を明白に認める立場をとっていた。

 パレスチナ問題について、日本は「平和と繁栄の回廊」構想を推進、パレスチナ自治政府と協力し、農業技術の供与、道路建設、またエリコに農産業団地をつくるなどの努力を払っている。今の日本の政治家たちには日本の努力について日本の良好なイメージを高め、日本人の安全にも寄するために、国際社会でもっとパブリシティを発揮してもらいたいものだ。グーグルのニュース検索で「日本パレスチナ友好議員連盟」を探しても1件のヒットもない。

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