見出し画像

日本とイスラム世界をつないだ「おしん」

 1980年代末にイランに行くと、私たち日本人は「おしん!」とよく声かけられた。「おしん」はイランで視聴率80%も超えるような人気番組だった。その頃、タクシーに乗ると、運転手から「『おしん』のストーリーの最後はどうなる?」などと聞かれた。まさに「おしん」が日本のイメージをつくっているようで、「おしん」によってイランの人びとは日本に対する良好なイメージをつくっているようだった。

イラン北部のタブリーズで



 1980年代、イランはイラン・イラク戦争を戦い、大変な困難にあった時期だ。イラン側の戦死者は少なくとも20万人、家族、親族、友人を亡くした人も少なくなかった。革命と戦争で経済状態はよくなく、テヘランの街で両替し、100ドル札を出すと、ずしりと重い、現地通貨リアルの束が返ってきた。苦難や窮乏に耐えた時期に「おしん」は受け入れられた。

 翻訳家で、イラン映画のコーディネーターのショーレ・ゴルパリアンさんは、「日本人は礼儀正しいし、心優しい人が多い。日本でいう『謙遜』とか『建前』『義理』といった概念はイラン人にもあるんです。相手を持ち上げて自分は遠慮するとか。年寄りに対する尊敬の念とか。だから日本の人たちはイラン映画をよく理解してくれますし、イランでも小津安二郎や黒澤明の映画や、『おしん』とか『はね駒』といったテレビドラマの人気が高いんです」と語っている。

 欧米的な物質的な近代化を遂げながらも、「おしん」でも表現されていた義理や人情など日本人のウェットな心情は、弱者の救済を説くイスラムの人々にも受け入れられる。1980年代にイランに行って街を歩くと、「ジャポン、ヘイリー・ホベ(日本はとてもよい)」などと声をかけられることが多かったが、これも「おしん」のお陰かなと思ってしまうほどだった。

 「おしん」はイランだけでなく、エジプトなどアラブ世界でも受け入れられた。「おしん」に感動したエジプト人が日本に来て、「日本はエジプトより貧しいと思っていたのに・・・」と驚いたというエピソードがある。

テヘランで見かけたおしんの壁掛け


 人間の本性はムスリムだろうと、日本人だろうと大きく変わらない。日本人がともすると失った価値観をムスリムたちはもっているように思う。「おしん」に見られる仲間意識、相互扶助など、かつての日本はおせっかいとも言えるほど他人の面倒を見ていた。町内会、PTA、子どもクラブなどがあり、近隣の人たちが夜集まって食事をするなどという光景はよく見かけた。イスラム世界はかつての日本のもっていたウェットな心情が残っているから「おしん」は共感を呼んだのかもしれない。

アイキャッチ画像は下のページより


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?