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イスラムの人々が称賛したのは日本の経済力・技術力、軍事力ではない

 自公政権は、イギリス、イタリアと共同開発した戦闘機を他国に売却することを決定した。「閣議決定」で正式決定となるそうだが、国の重要な指針を国会での議論や議決を経ないで決定してよいものだろうか。これでは国会は必要なくなる。なし崩し的に日本の平和主義が放棄され、日本も軍産複合体をもつ欧米諸国のように、戦争を望む国になるのではないかと危惧する。

次期戦闘機輸出、15か国限定…防衛装備品の運用指針を今月下旬にも改正 2024/03/15 05:00 https://www.yomiuri.co.jp/politics/20240314-OYT1T50287/


 1907年に日本の小説家の徳富蘆花(1868~1927年)がトルストイ宅に5日間滞在した時、トルストイは「土を耕し他の力に頼ることなく生活するものが国の力である。ロシアの国力は兵力ではない。その鍬(くわ)である。私がロシアを愛し、信じるのはそのためである」と話す。

 イスラムの人々などが日本を称賛してきたのは、「日本の国力は軍事力ではない、その経済力・技術力である」という点においてであり、イスラム世界を軍事的に支配したり、介入したりしてきた欧米とは異なり、経済や技術を中心に発展を遂げるという道を歩んできた日本だから敬意をもつことができた。

 徳富蘆花は、1919年(大正8年)にエジプトを訪問した際に、エジプトの独立を求める運動に遭遇し、次のように書いている。

「二万人の上を越す行列は、足をとどめて、一斉に歌ったり、手を振ったりする。わぁわぁと波のような鬨(とき)の声が湧く。見物の中から手をたたく。・・・夥しい人数、皆興奮しているが、乱暴はない。わぁっと埃及(えじぷと)の血が潮の如く奔騰する。私は寒くなった。体がぶるぶると震えて、涙が湧いて来た。そんなにも独り立ちがしたいのか!ああ、埃及は独り立ちがしたいのだ・・・朝鮮をもつ日本人の私どもなればこそ、埃及に来て、ホテルの真下にわざわざこの示威運動を見せられた。埃及の立場に朝鮮を見、日本の立場に英吉利を置いて其の何(いず)れをも私共はとっくり腹に入れねばならない。」

 エジプトの人々の日本の経済力、日本の戦後復興に敬意をもっていたのは、ナセル大統領自らが起草して1962年に制定された国民憲章にも見られる。

第二次中東戦争(スエズ動乱:1956年)の後ですね 1958年(昭和33年)はシリアと合同してアラブ連合共和国を結成した年ですが・・・ 週刊朝日緊急増刊 中東の危機 -平和か!戦争か?- 昭和33年8月16日号 表紙モデル・ナセル大統領 https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=312352227


「エジプトがその眠りから覚めた時期に、近代日本は進歩をめざして歩み始めた。日本が成功裡に着実な発展の道を歩み続けたのとは対照的に、個人的な冒険によってエジプトの覚醒運動は阻害され、悲しむべき損失としての後退をもたらしたのであった」(第3章「エジプトの闘争の根源」

 1960年に帰国に際してナセル大統領に挨拶に行った土田豊大使にナセル大統領は次のような言葉を残している。

「自分の任務は、祖国エジプトの政治・経済的立場をいかに強固にするか、ということである。そのためには、現在の世界の先進国がどのような方法でその地歩を築いたかを学ぶことが一番の早道であると思う。
 そこでいかなる国について学ぶべきかを慎重に検討した結果、それは日本であるという結論に達した。日本は15年前に敗戦を喫したにもかかわらず、その後の進展ぶりは目覚ましく、驚異的なスピードで国の再建が行われている、この点に、自分は非常な関心をもっている。
 ほとんど世界中を敵にまわして戦い、あれほどの惨憺たる破壊を蒙った国が、ほんの僅かな間に経済的復興を遂げ、さらに戦前以上の発展をするに至った秘密はいったいどこにあるのか。
 ここでは、日本および日本人についての私見を述べる暇はないが、自分なりに日本および日本人の特質をつかんでいるつもりであり、今後も政務の余暇をみて、なるべく多くの時間を日本の研究に割きたいと思っている。」(阿部政雄『アラブ・パワーが世界を動かす』(講談社、1993年)


ナセル大統領 https://ganshoji.com/publics/index/26/detail=1/b_id=1285/r_id=2999/


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