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龍神さまの言うとおり。(第9話)

上海で偶然にも再会した洋介と恵子は、ホテルのラウンジにあるソファーに座った。そこで洋介は、数年前から上海で単身赴任をしている恵子の夫が、中国人の若い女性と不倫関係になり、しかも現在、その女性が妊娠していることや、急に夫から離婚をしたいとの申し入れがあったことを聞いた。そのため、恵子は急遽、日本から子供を連れて上海へ来ていたのだった。

偶然の出逢いという驚きのせいもあってか、洋介は話を聞きながらも、なぜか、そんな恵子を放っておけないと思い始めていたのだった。そして、疲れた表情を見せる恵子の傍らで、無邪気に微笑む子供たちを見ていると、自分がこの子たちの父親になってもいいと思うようになっていたのである。

日本へ帰国した後しばらく経って洋介が、そんな思いを伝えると恵子は、若干戸惑うような反応をみせたものの、数か月ほど子供たちの反応をみながら前向きに考えたいと告げた。その言葉通り、時間をかけて、洋介の気持ちを幾度となく確かめた恵子は、数ヵ月後に離婚を決意し、日本の弁護士を通じて協議離婚をしたいと上海に住む夫に伝えた。

すでに、天然石ジュエリーデザイナーとして一定の収入を得ていた恵子は、慰謝料や養育費などの金銭的な要求を一切することはなかった。ただ唯一、子供二人の養育権だけは、自分に帰すことを主張した。そして、すべての手続きを終えた一年後、洋介は恵子と結婚したのである。

新宿の都庁前駅へと向かう電車の中で、恭子は頷きながら、洋介の話しに耳を傾けていた。

「三河くんも、いろいろあったのね」

「いまの北山さんに比べれば、そんな・・・」

「ふふっ」

「何か、可笑しい?」

笑いを抑えようとする恭子の仕草を見て、洋介が不思議そうに聞いた。

「お年寄りの方って、これまで経験してきた苦労を自慢するように話すでしょ?私たちも、そんな風に会話をしてる気がして・・・」

「実際、それなりのお年寄りになったけどね」

洋介の言葉に、再び笑顔を見せた恭子は、その後すぐに真顔になって話し始めた。

「さっきの、仮面を付けて本当の自分を隠すって話し、もしかして三河くんも本当の自分を隠したまま仮面を付けてきたんじゃない?」

「えっ?」

洋介は、自分でも何となく思っていたことを、ズバリと言われたことから、しばらく黙り込んだまま恭子を見つめるしかなかった。

「確かに。偽善や自己犠牲という仮面を付けて生きていたかもね。自分自身そんな風に考えたこともあるし。でも・・・、いま気づいたんだけど、高校時代から、すでに仮面は付けていた気がする。好きな人からの求めに応えることができなかった・・・、あの時から」

「それって、私のこと?」

洋介は、黙って頷いた。

「じゃあ、あの頃の私に対して仮面を付けていた理由、何だったの?」

「ん~、何だったんだろうね・・・」

洋介が、はぐらかすように、そう言った時、電車は都庁前駅に到着した。

新宿のランドマークでもある東京都庁は、高層ビル群の広がる西新宿エリアの中心部にある。

都庁前駅に到着した二人は、腕を組んだままで、地上出口から新宿中央公園沿いを走る方南通りへと向かっていた。先ほどまでの雨は、すっかり上がって、空には白い雲間から青い空が顔を見せ始めている。そして、方南通りに出た二人は、ヒルトンホテルの斜向かいにある新宿中央公園に入ると、公園内に建つロッジ風の二階建て施設へと進んだ。

最近オープンしたこの施設には、レストランやカフェの他に、ヨガスタジオやボルダリングジムが入居している。土曜の午後とあって、一階のカフェは多くの若者や家族連れでにぎわっていた。そして、テラス席の向かいにある公園の芝生では、レジャーシートを広げた人々が思い思いの格好で寛いでいる。

「まずは、注文しようか」

恭子と腕を組んだままの洋介は、そう言って注文カウンターの列に並んだ。

「この一帯って、江戸時代には花街があったらしいよ。確か、公園の反対側が十二社通りで、そこには池がふたつあったんだって。今はもう埋め立てられて無くなったけどね。でも、通り沿いのバス停の名前は、『池の上』といって、その名残があるんだよ」

「そうなんだ~、池にはご縁があるのかもね、わたしたち」

そんな話をしながら飲み物を注文し、出来上がったアイスコーヒーをトレイに載せて、洋介がそれを持つと、二人は腕を組んだままで、空いたテラス席を探した。

「あっ、よかったらどうぞ。僕たち、これから行くところがあるので」

ちょうど通りかかったテーブルに座っていた若いカップルの男性のほうが、洋介に声を掛けてきた。

「あっ、どうも。ありがとう、助かります」

洋介は、そう言うと、恭子と組んだ腕を離して、そのテーブル席に腰を下ろした。

「やっぱり、北山さんと一緒にいると、ツキがあるのかな」

「ふふっ、どうなんだか・・・」

恭子は笑いながら、公園のほうへ視線を向けた。

「あっ、いた・・・。ほら、あそこ。雲の間から・・・」

恭子は、空を指さしながら、洋介に告げた。

「ごめん、さっきもそうだけど僕には見えないな。もしかすると、あの空にいる龍神さまって、北山さんを守っているのかもしれないよ」

洋介は、恭子が指を指す方向を見ながら言った。

「そうかなぁ~。でもね、三河くんと一緒にいる時だけ見えるのよ。ちょうど二十六年前もそうだったし」

そう言って恭子は、「二十六年前の夏に八幡浜の港からフェリーに乗って行った大島で見て以来、これまで龍神さまの姿を見た事はない」と話した。

「あの時か~。それにしてもさ、不思議な体験だったよね」

洋介は、そう言いながら、二人で訪れた大島での出来事を思い出していた。

第10話へ続く。

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