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文化と機械の転換点

「建築とは住むための機械である」とは20世紀の巨匠建築家ル・コルビュジェが言った言葉だ。

こうした概念の元に、世界の建築はモダニズムに向かっていった。

もしかすると現代の日本において、ついに完成をみたのではないかとふと思った。

今手がけている施設は、商業施設だが坪単価を80万円程度に抑えてほしいというオーダーだった。

しかしながら、施主のもう一つの要望は「高級な商品を扱うのにふさわしい建物」だった。

震災復興再建が進んできた釜石では、商業建築であっても住宅然としたものが多い。

中華料理店の出入口は、住宅の玄関扉だし、屋内の扉も、住宅用の既製品。

仕上げは仮設店舗となんら変わらない。

床はコンクリートの土間で、コンクリートの基礎立上りが露出。
壁は一番安いグレードのビニールクロスが張ってあるだけで、アクセントのタイルも塗壁もない。

照明器具は事務所につけるような白いLEDのベースライトだったりする。

たしかにこのような仕上げであれば、坪80万円より安くでも出来るかもしれないが、そんなところで高級な食品が売れるだろうか?

ある程度、仕上げのグレードは上げつつ、建物自体はシンプルな長方形にして、屋根は目下一番安いカラーガルバリウム鋼板の縦葺きとした。

これは、昔なら住宅の母屋でなく下屋や付属の倉庫などに使っていた、トタン屋根とあまり変わらないようなものだ。

屋根の形も切妻(きりづま)といって、最も簡易なものである。

ところが出てきた見積もりを見て、驚いた。

坪100万円どころか、120万円にもなっていたのだ。

正確に言うと、舗装や椅子、テーブルなど、普通坪単価に入っていないものまで含めてのことではあるが、それにしても高い。

正直に言って、僕も大きな読み違えをして、施主に迷惑をかけてしまった。

復興需要やオリンピック需要がなくなったので、建設物価も下がったかと思っていたが、そんなことはなく、コロナの影響による資材不足が押し上げの要因となっていた。

結果的には大幅な仕上げグレードの低減などにより、坪85万円ほどに落として、契約にいたることは出来た。

しかし、ある程度、高級と思わせられるような仕上げは、全部なくすことになった。


最近の新しい建物は、本当に貧しいと思う。

装飾というものは一切ないか、あってもイミテーションだ。

たとえば木造や鉄骨造の外壁でよく使われるサイディングには、石やタイルや木の模様が入っているが、中身はセメントと繊維で、型に流し込んでその素材に見えるテクスチャが形成され、塗料で着色されている。

屋内の仕上げはほとんど、ビニールクロスの壁、天井とビニールシートの床、または塩ビシートを張ったフローリングだ。

フローリングは木のように見えるが、木の模様がプリントされたイミテーションだ。

基材は木なのだけど、表面はなぜかイミテーションなのだ。

ビニールクロスやビニール床シートにも、石やタイルのものもあれば、コンクリートに見えるものまである。

コンクリートの打ちっ放しというのは、仕上げをせず安くするための方法であったと思われるのだけど、それすらも出来ずに模倣しているのだ。

ビニールクロス(壁紙)の柄は、もともとそうであったように紙に見えるもの、布に見えるものもあれば、空の絵やイラストが描いてあるものもあって、種類は無数にあると言っていいぐらいだ。

ビニールクロスもビニール床シートも、塩ビシートも、その名の通りプラスチックである。

建具(ドア)や家具も、最近は塩ビシートが貼ってあるものが多く、その他、メラミン、ポリのものもあって、これらは非常に精巧に出来ているため、本物の木だと思っている人も多いだろう。

これらの良いところは安いことと、自然素材よりも品質や生産性が安定していることだ。

僕なんかは、できるだけ自然素材を使おうと思うのだけど、前述のように予算の関係でイミテーションに引きずり降ろされてしまう。

建築家はやはり、イミテーションは好まない。

そこでどうするかというと、本来は仕上では使われないものを、仕上げとして使ったりする。

すでに書いたが、コンクリートの打ちっ放しはその類だろう。

他には、合板や木毛板、溶融亜鉛メッキ、塗装をしないスチール(黒皮鉄)などがある。

鉄骨やコンクリートの骨組みをそのまま見せるスケルトン仕上げも、そういう意図で始まったと思うが、それに伴い、配線のレールやダクト、給排水管などが隠れずに見えることになった。

これらも素材そのものであることが多い。

そういう天井には、完全には隠さないけど、ある程度隠すために格子状(ルーバー)の木材や、鋼材を設置する方法もあったが、最近は、天井を貼る下地である、軽量鉄骨を天井材を貼らずに見せて、ルーバー的なものとして使っていることもある。

その他、安価で昔から使われていたものを、あえて仕上げとして使うこともある。

例えば物置の屋根や外壁などに使われているポリ波板を、採光のための外壁や、半透過性の間仕切り壁など、機能材料として使うこともある。

たしかに、こういうものを仕上げにすると意外に「おしゃれ」に思うのだけど、人によっては「安っぽい」と言うこともある。

今書いた例のいくつかは、実は釜石の鵜住居小中学校で使われているものであり、その設計は建築家のユニット、シーラカンス&アソシエイツ、「安いっぽい」とは、それを評して釜石市の建築関係の職員が言ったことである。

それも当然ではある、実際に安いのだから。

いずれの方法も、少ない予算で出来るだけ見た目をよくするために行っていることなのだ。

ところで、下地材をそのまま見せるやりかたでも、ビニールクロスやサイディングなどのイミテーション建材より、合板などの下地材のほうが高かったりもするので、全く奇妙な話である。

なので目下一番安い仕上げ(?)はビニールクロスの下地の、プラスターボードを、ビニールクロスを貼らずに現しとし、天井を貼らずに天井下地の軽量鉄骨を「ルーバー」と見立てて、仕上げにすることだろうか。

…工事途中の現場みたいだが、それをなんとかおしゃれに見せるのが、建築家やインテリアデザイナーの腕の見せ所であろう。

そんな爪に火を点すような努力にもかかわらず、建築の坪単価は上昇の一方だ。

原因の一つは設備機器の増加である。

住宅を例に挙げると、最近のトイレは水洗でシャワートイレがついているし、洗面化粧台もシャワーがついていて豪華だ。

2階建てだと、トイレと洗面が各階にあったりする。

キッチンはシステムキッチンで大きく贅沢になり、食洗器がついている。

風呂も大きく、追い炊きがついているのも一般的だ。

エアコンは全室についている。

昔の住宅と比べると、設備機器の金額が何倍にもなっている。

もう一つ言えるのは、建物の「性能」に関する法律が、年々強化されていることだ。

耐震の規準なども年々強化されており、目に見えない建物の内部が「ごつい」ものになってきている。

構造体の容積、質量が増えて、当然、金額も増える。

また省エネの性能確保のために、床、壁、天井の中に断熱材を入れたり、隙間防止の措置が取られるようになり、窓の性能も高くなった。

40年ぐらい前の建物には、断熱材というものは使われていない。

20年ぐらい前までは窓ガラスは1枚だったが、現在は2枚のガラスの間に中空層を持った複層ガラスが最低限のものとなっている。

さらに性能が高いと、本体がアルミではなく樹脂で3層ガラスであったり、窓自体が2重になっていることもある。

バリアフリー性能の確保においては、廊下の幅を広くしたり、トイレを大きくしたりする必要があり、建物全体の面積が増えるので、予算アップになっているほか、手摺の設置などもわずかながら予算アップの原因である。

住宅ではなく、一般の建築においては、スロープやエレベーターの設置が必要になっているし、多目的トイレも必要である。

つまり、便利さや機能、性能に関する部分に予算が大きくとられてしまい、情緒に作用する装飾、デザインの部分には、少しもお金がかけられない状態なのだ。

これは、建築家の作品を見ていても、もはやごまかし切れない。

自治体職員の言葉通り「安っぽく」なっている。

上記のように要因はさまざまだが、より決定的となったのは、やはり東京オリンピックの開催が決まって以降のことだ。

それを象徴するのは、やはり新国立競技場の一件、すなわちコンペで選ばれたザハ・ハディドの案が予算オーバーで白紙になり、より「経済的」な隈研吾氏の案に変更せざるを得なくなったことだろう。

あの時以来、目に見えて建築の値段は上がり、新築建物の見てくれが貧しくなった。

昭和のころの住宅には、タイルや石が使われていたが、平成後期、令和の住宅には、そういうものは許されない。

屋根に陶器の瓦を葺くのも難しい。

鋳鉄の飾り、ランマの彫刻、無垢の1枚板、ガラスブロック、格子の入った建具、鏡板の入った框ドアなども贅沢品である。

昭和時代の住宅には一般的な住宅に見られたりするのだが…

私が子どもの頃(40年ぐらい前)の友だちの家には、折り上げの天井にシャンデリアがあったりしたのだが、それがいいかどうかはともかくとして、現代の一般的な住宅では、経済的にほぼ無理である。

装飾がないとは言わないが、それらは全てイミテーションであり、プラスチックであり、実質的には極めて貧しいものだ。

こうして概観してみると、最近出来た建物はほとんど、必要な機能を満たしているだけの「機械」なのである。

日本の建築はもはや「文化」とは言えないのではないだろうか。

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