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宮崎の若者向けの政策を考えるのであれば、テレビ民放2局クロスネット問題を解決する必要がある。地元メディアを敵に回してもそれを主張する政治家が必要だ。

宮崎が地方であることを痛感する最もみじかな問題は、テレビ局が民放2局しかなく、ケーブルテレビに加入したとしても、様々な番組をリアルタイムで見ることができないということです。

先日も、サッカーワールドカップのノックアウトステージの日本対クロアチア戦が、宮崎のテレビではケーブルテレビに加入していた人でさえ見ることができない状況でした。

宮崎市長の清山氏も市議会の一般質問が翌日にあっても見たいほどのコンテンツであったようです。おそらくはAbemaで見たのでしょう。

清山知憲 宮崎市長さんはTwitterを使っています: 「おはようございます。 今日は市議会の一般質問2日目です。 昨夜は惜しかったですね…普段しない夜ふかしをしてしまいました。 議会、休みにならんかな笑(冗談です。怒らないで下さい)」 / Twitter

清山知憲 宮崎市長さんはTwitterを使っています: 「なめてないけど、応援したいでしょ〜 日本代表の奮闘にパワーをもらいました💪」 / Twitter

これから年末年始に向けていろいろな番組がありますが、その中の多くの目玉番組である、例えば M-1グランプリ、フィギュアスケート日本選手権(金曜日)などを、宮崎の人はリアルタイムでは見ることができないのです。ほかにも宮崎では、フジテレビの月9ドラマが月曜9時に放送されたことが一度もないなど、テレビに関するネタの枚挙に暇がありません。

若者は一般的には情報感度が高く、より多くの選択肢があることを好みますから、民放が2局しかないことは、宮崎から県外に出ていった多くの若者や、県外からなにかの用事や旅行で宮崎に来た人などに「宮崎は田舎である」ということ痛感させる決定的な要素であり続けたと言っても良いでしょう。

このことがどれくらい宮崎に不利益をもたらしているかについて、雑な議論ではありますが、経済学的な「効用」という概念を用いて考えてみます。

宮崎では地上波では、日本テレビ系列やテレビ朝日系列が基本的にありませんので、それを見るためにはケーブルテレビに加入しなければなりません。これは東京や大阪、福岡などの他県では無料で手に入るものです。

宮崎ケーブルテレビの月額料金は通常のHDコースで 5,170円ですから、年間では6万2千円程度の料金がかかります。宮崎の総世帯数は47万世帯程度ですから、他県では無料で獲得できるチャンネルを全世帯が手に入れるためには、県民が年間290億円強を支払わなければならない計算になります。

先程述べたように、これほどの金額を宮崎県の全世帯が負担したとしても、リアルタイムでは見ることができない番組があるのですから、最低でも年間300億円以上の県民効用が失われていると計算できます。もともと、平均世帯年収が全国でも低い宮崎で、この効用の損失はあまりにも大きいといえます。

実際には、テレビの民放が少ないことによる「宮崎は田舎」で行きたくないというような負のイメージを持たれたことによる損失はそれ以上であるでしょう。

また、「民放のテレビ局を増やす」ことを動機づけとして宮崎県ではケーブルテレビ加入率が多くなっていることによって、産業振興としては思わぬ弊害もあるそうです。

それは、NTTやKDDI、ソフトバンクなどのブロードバンド回線の加入率が他県と比べて極端に低いということです。技術力の高いNTTなどの回線が普及しにくい状況になることは、県全体のIT産業の発展を阻害する要素にもなりうる話です。

現在では5G の普及によって、高校生が持っているスマホにさえ Gbps 単位のデータが送信できるのですから、テレビのデータを電波塔に送りテレビに送信するということについて、技術的困難はゼロと言ってもいい状況です。違法で東京からYoutubeでライブ配信する輩もいるくらいですから。

ということは、県民の生活の質にかかわるテレビのチャンネルを増やし、情報の県民効用をどう高めていくかというのは、現在は完全に政治的な問題となっています。しかし、これを解決すべきという意見は今回の宮崎県知事選挙の候補者からも出ていませんし、それを主張している県内の政治家も見たことがない状況です。

メディアと政治は緊張感をもつべきです。行政単位と放送の範囲が同じであると、メディアの側も県庁に目配せをして配慮をしながらの報道になるのなら、他県のメディアとの統廃合をして忖度のない批判をすべきです。

地元のテレビ局やケーブルテレビ局にも主張があるのでしょうし、これにいを唱えることは彼らを敵に回すことにもなるでしょう。それでも情報化社会と言われて何十年もたった状況であるにも関わらず、それを主張する政治家がいないと言うのは残念です。

この問題について、言及しないということは、宮崎の未来について無関心であるということと同義です。

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