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老人福祉施設でラップを披露してみたら、ご老人ブチアゲで職員ブチギレした話。


最近の漫画や小説、映画などで、テーマのひとつとしてよく取り上げられている「対話の大切さ」。
直近の有名どころでいうと、どちらも漫画になってしまうが『進撃の巨人』や『タコピーの原罪』などがそれだ(もちろんそれだけがテーマではないけれど)。

対話をしないから争いが生まれる。対話をしないから「正義と悪」という概念が生じる。そんなことはもうみんなわかっているはずなのに、それでもないがしろにされてしまいがちなのが対話だ。

かくいう私も、対話ができない青年時代を過ごしてきた。いつも自分本位で、相手の立場で物事を考えることが苦手な高校生だった。
そんな私だったけれど、課外授業でとある老人福祉施設(以下老人ホーム)に行ったとき、「対話の大切さ」を知る機会があった。
あくまで個人的な価値観だけれど、漫画や映画のような非現実の中で語られる「対話の大切さ」とは、現実にある、今から語るような日常の出来事にも通ずると思っている。


課外授業というと、老人ホームで何か披露したりとかご老人とイベントをやったりとか、そんな風に思われがちだけれど、実際はただご老人と話したりお茶を飲んだりする時間が続いた。だから大半は休憩時間のつもりで寛いでいて、同級生同士で話している学生もちらほらいた。そして私もそのうちの一人だった。
そうやって澄まし顔で同級生と話していた私だけれど、内心居心地の悪さに押しつぶされそうだった。その老人ホームに漂う負のオーラのようなものに、ずっと殴られている感覚があったのだ。

幼いころから、母親の職場である老人ホームに行く機会が何度かあった。そこで会うご老人たちはいつも感情豊かで、世間話に笑ったり催し物に感動したり、何かに怒るご老人もいて、母親含めそこの職員たちはいつも忙しそうにしていた。
私はその光景が当たり前だと思っていたから、当老人ホームのご老人の元気のなさに少なからず驚いた。そつなく仕事をする職員たちも無気力に見えてならなかった。

その頃の私は、自分の目に見える範囲でしか物事を捉えられない無知な若者だった。そのうえどこまでも自分勝手で世間知らずだったから、その老人ホームに漂う負のオーラのようなものをどうにか払拭できないかと勝手に考えていた。そうして、なぜかそのとき友人との間で流行っていたとあるラップを披露すれば、ご老人も元気になるのではないか、と、今思うと何の脈略もない訳のわからないことを思いついたのだった。

ちょうどご老人が多くいた大広間に、「好きに使って良いですよ」と言われていたけど誰も手をつけていないカラオケの機械があった。ラップをすることでその空間の雰囲気はどうなるのか。ご老人は笑うのか、それとも無反応なのか。どう転ぶかはわからなかったけれど、その頃の私はとにかく歌うことで気を紛らしたい部分もあったので、カラオケでその曲を入れることにした。ここでお気づきの通り、今思えばご老人に活気をもたらしたいという表面的な正当性を掲げ、実際は自分の居心地の悪さを紛らわすためにカラオケを利用したともいえる。

結論から言うと、私が披露したラップでご老人はブチ上がり、職員にブチ切れられた。

ご老人たちは笑顔で手をたたいたりバラードでもないのに目をつむって肩を揺らしたり、頑固そうなおじいさんが「良いぞー」と合いの手を入れてくれるなど、総じて楽しそうな反応を示してくれていた。そのことに気持ちよくなりながら歌っていると、二番に入る前に急にその音楽が止まった。カラオケの機械の方を見ると、職員が鬼のような形相でそこに立っていた。
「ちょっと来てください」
言われるがまま裏に連れていかれると、職員は私をこっぴどく𠮟責した。
その怒りの主な理由は「こういう場でそういう曲を歌うな」というようなことだった。
遅れて担任の教師が来て、職員に頭を下げて謝っていた。
さっきまでご老人と一緒に私の歌っている姿を笑って見ていたこともあり、教師もばつが悪そうな表情で、私に形ばかりの叱責をした。
私はその時、見知った教師に怒られることよりも、面識のない大人に怒られることがこんなに怖いことなんだと初めて知った。

「こういう場でそういう曲を歌うな」
私はその職員の怒りの理由に、正直納得などしていなかった。だけど知らない大人に反抗するほど血気盛んなわけでもなかったから、その場は丸く収めようと形だけ謝ってその部屋をあとにした。

大広間に戻ると、ご老人たちは拍手で私を迎えてくれた。
「とても良かった」「もっと聞いていたかった」
口々にそう言ってくれるご老人に私は力をもらった。なかには「何で止めたんだ」と別の職員に怒るご老人もいて、少なくともご老人たちには伝わったんだなと安心することができた。

老人ホームから帰るとき、教師に連れられ、怒っていた職員にもう一度頭を下げに行った。
その時彼はちょうどご老人の介護をしていた。ご老人がケガをしないように、機嫌を損ねないように、あくまで自然に介護をするその職員の姿勢と、ゆっくり、でもしっかり応えようとするご老人の姿勢を見て、私はどこまでも子どもだったんだとようやく気付くことができた。

私には何の責任もないから、思いついたことを後先考えずに行動することができた。でも職員には、ご老人が安全に一日を過ごせるよう見守り、介護する責任があった。だから私がラップを披露したとき、
「声の大きさや変わったテンポに気分を害したりする人が出るかもしれない」
そんな不安から演奏を中止して私を叱責したのではないだろうか。よく考えれば、私と職員の言動のどちらがまともかを判断することができる。

そもそもの話、私が感じていた負のオーラは勘違いだった可能性だってあって、私が勝手に居心地の悪さを感じていただけかもしれなかった。
そして私は、職員はもちろんご老人に対してろくに対話をしようとしていなかった。勝手に自分の都合のいいように負のオーラを感じ取って、勝手にそれを払拭しようと歌い狂っていたのかもしれなかったのだ。

でも、だけど、その職員の言動が100%正しかったとは言い難いとも思っている。あの瞬間、あの老人ホームは確かに活気に満ち溢れていた。つかの間の娯楽を提供できたとも言えた。それなのにそれを職員は途中で止めた。

職員も教師も、私がラップを披露した理由を聞かなかった。私もめんどくさくて言わなかった。
職員はただその場にあわないからという理由で叱責して、私は理由を伝えるのがめんどくさいからという理由で納得せずとも謝った。こうして傍から見ると至極単純な、「怒る」と「謝る」の関係がつくりだされた。ご老人の意見も職員は聞かなかったし、私は歌う前ろくにご老人と話そうともしなかった。

すべてが一方的だった。だれもお互いの内なる葛藤を汲み取ろうともしなかった。そのことに気づいたとき、私はその職員と対話をしようと決めたのだ。

私がなぜあんな行動を起こしたのかを正直に伝え、ご老人たちの体調などを考慮していない軽率な行動だったと謝罪した。この時の私は心から謝ることができた。
そして、その職員からも理由を聞かずに怒りすぎたことを謝罪された。ぶちあがっているかのように見えたご老人の中には、不安そうな顔をしていた方が一人いたようで、その方を見ての判断だったと伝えてくれた。職員にとって、その場が盛り上がっている時に気分が下がっているご老人はいないか気を配ることも、仕事としての責任のひとつなんだと教えてくれた。私はそんなご老人がいることに気づかなかったので、その事実には落ち込んだが、それでようやくすべて腑に落とすことができた。

こうして老人ホームでの課外授業は、「すみませんでした」ではなく「ありがとうございました」で締めくくることができたのだった。

その職員と対話していなければ、一生モヤモヤを抱えて生きていくところだった。この経験をしてから、私は何事も勝手に決めつけず、対話をすることを心がけている。


これはあくまで一例で、「対話の大切さ」を感じる場面は日常の中に溢れている。そして対話を心がけているだなんてかっこつけた私だけれど、実際は無意識にそれを怠ることもある。そのことに後から気付くたびに、私はどこまでも軽薄なんだなと落ち込んでしまう。

いったい、子どもの頃に抱いた信念を、大人になっても貫き通すことのできる人間はどれほどいるのだろう。
きっとそれができる人間を、真の“大人”と呼べるのだと思う。

そう考えると、私は27歳にもなってまだまだ子どもなのだ。
だから私は本を読む。映画を観る。そうやって私は私を取り戻す。
フィクションの中に潜む真理を見つける。
それが大人への階段の登り方のひとつだと、最近は特にそう感じている。


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